「みんながこの状況を過度に恐れすぎている」――沢木耕太郎が「旅なき日々」に思うこと【#コロナとどう暮らす】
今回の東京五輪には「大義」が見えなかった
アトランタ五輪を題材にした著作『冠』でも知られ、数多くのスポーツ取材を重ねてきた沢木。「東京2020五輪」については、どう見ているのだろうか。「昨年末の段階では、取材もしない、原稿も書かないことに決めていた」が、この春になって、思いが変化してきたという。 「もともと東京オリンピックを取材して書いてほしいという依頼をいくつか受けていました。でも考えた揚げ句、昨年末にすべて断った。この東京オリンピックには大義がないと感じたからです。そもそも東京で開催する意味があるのかどうか……。オリンピックというものは、自国で開催したいという国民の強い欲求とともに、他国の人たちもその国での開催に納得し、喜んでくれることが必要条件だろうと思います。1964年の東京オリンピックは、戦後の再建のお披露目のようなものを、世界の多くの人たちが割と温かい目で見てくれていたと思います。しかし、2020年の東京オリンピックは……積極的に肯定する人たちは少ないんじゃないでしょうか」 「復興五輪」というまやかし。コンパクトでエコロジカルにといいながら、総額3兆円とも言われる費用がはじき出された東京五輪は、まったく無意味だ、と沢木。 「たった一つ意味らしきものがあったとすれば、1964年を知らない若い人たちが、オリンピックを自国開催するという経験、それだけでしょうね。今度のオリンピックについて祝福するという気持ちを持てない僕が、参加する必要はないんじゃないかと思った。だから断ったんです。ところが、だよ」 コロナ禍の影響で、東京五輪は1年延期となった。このニュースが、沢木の意識を変える。 「コロナとの戦いに終わりはないのかもしれませんが、中休みというか、いったん緩やかな休戦か終戦があるとして、そうした中でのオリンピックというのは、世界の人たちにとって、意義のあるものになり得るんじゃないか、と思ったんです。古代ギリシャのオリンピックというのはそういうものでした。それはどの国でやってもいい。もちろん日本で開催したって構わないわけで、コロナとの戦いに疲れた世界の人々の束の間の休息、あるいは『祝祭』を、みんなで味わおうというオリンピックが開催されるならば、僕も参加したい。そう思うようになりました」 しかし現実的には、来年の開催も難しいだろう、と沢木は冷静だ。 「コロナウイルスのローテーションは、まだまだわからない。来年になれば大丈夫と楽観視することはできませんよね。だからせめて、2年後がいいと思いました。オリンピックには初期の頃、『中間年大会』というものが存在していました。第1回の開催国であるギリシャが、毎回アテネでやりたいというので、一度だけ、本大会と本大会の間に、アテネで『中間年大会』というものが開催されています。ギリシャの経済状態が悪くなって、2回目以降は開催されませんでしたが……。そういう歴史的な前例もあるわけだから、2年延期論ならば賛成だった」