力道山の妻、結婚わずか半年で夫の死…語られてこなかった壮絶な“その後の人生”
暴力団組員に刺された力道山が命を落としたのは1963年のこと。しかし当時22歳に過ぎなかった夫人の“その後の人生”については、これまでほとんど語られてこなかった。結婚後わずか半年で夫に先立たれたのみならず、5つの会社の社長に就任し、30億円もの借金を背負い、4人の子の母親になった、その人物の名は田中敬子(83)。 【写真】力道山の本葬での敬子さん、ほか書籍『力道山未亡人』収録の秘蔵写真【6点】 5月31日に発売された『力道山未亡人』(著・細田昌志/小学館)では、プロレス興行という特殊な環境の中、男社会と裏社会の洗礼を浴びつつも昭和・平成・令和と生き抜いた1人の女性の数奇な半生が描かれている。著者の細田氏を直撃し、未亡人・敬子さんの素顔や執筆の舞台裏について伺った(前後編の前編)。 第30回小学館ノンフィクション大賞受賞作ということで、『力道山未亡人』は発売前から話題の1冊だった。著者の細田昌志氏(52)は前作『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)で講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。もともとは放送作家やCS放送のキャスターとして活躍していたが、現在、もっとも注目されるノンフィクション作家の1人になったといっていい。 「田中敬子さんについて書くことになったのは、安部譲二さんの一言がきっかけなんです。前の本の取材でお会いしたとき、“次は敬子さんについて書いてよ”ってリクエストされたんですよ。よくよく話を聞くと、安部先生と敬子さんはJAL(日本航空)時代の同僚だったんです。安部先生は“あの人、よく再婚しなかったよね”みたいなことも言っていました。“俺は古くからの知り合いだけど、自分からは聞き出せないから、君がそのへんのことを聞いてみてくれ”ってムチャ振りされて(笑)。そうこうするうちに安部先生も亡くなってしまったんですけどね……」 こうして力道山未亡人の田中敬子さんについて書こうと決めたはいいが、話はここから二転三転した。なかなか掲載先が決まらなかったのである。 「雑誌での連載とはかなわず、一昨年の11月頃からウェブの『NEWSポストセブン』で書き始めるんですけど、ネットにアップされた記事はほんの触り。内容も力道山と結婚するまでの出来事を軽くまとめたにすぎません。だから、ポストセブン掲載分で今回の単行本に収録されているのは、大方7分の1くらいかな。つまり今回の本はネット連載をまとめたというより大半が書き下ろしです。その一番の理由として、年が明けた1月から、『よし、小学館のノンフィクション大賞に応募しよう』って決めたことがありました。規定があって、半分以上はオリジナルにしなくちゃいけないんです。それで区切りがいいところで連載をやめて、取材を本格化させていったわけです」