危篤になった夫ピート・ハミル 「透析を止め、平和に逝かせては」医師の薦めに、わたしは──
奇跡の覚醒
翌21日(金曜日)よく晴れた早朝、いつものように声をかける。 「ハニー、ウエイクアップ!」 すると、ピートは呼びかけにゆっくり応え、重そうに瞼を細く開けたではないか。そして、しっかりわたしの目を見つめた。覚醒した。「月曜日まで待って」と頼んだ日から2日後、ついに覚醒させたのだ。 作業療法セラピストが来て喜んでくれた。 「100パーセント、目覚めましたね」 神経外科の医師がそういってくれた。この時は知らなかったが、ピート覚醒のニュースは集中治療室の階にいた全員に電撃のように響き渡ったという。 翌22日(土曜日)には看護師がピートの体を洗ってくれて、ベッドの上の体の位置を変えてくれた。 翌23日(日曜日)には喉のチューブが取れた。ちょうど病室にきていたラテン系のフィジカル・セラピストを見たピートは初めて声を出した。 「アグア」 スペイン語の「水」が第一声だった。それからしばらくスペイン語だけを口にするようになった。ピートはGI奨学金でメキシコへ行ってからスペイン語を話すようになった。10日間に及んだ昏睡状態から目覚めると、メキシコで過ごした若き日の記憶が蘇ったのだろう。 「エスタ・リスト」わたしも即座に大好きなスペイン語を口にして、そこから知っている限りのカタコトで会話しようとした。一緒にメキシコへ行った親友のティム・リーが面会に来てくれたときにはスペイン語で話してくれと頼んだ。
「ぼくには二つのものが必要だ」
次の週に入ると、集中治療室のチームが入れ替わり、ドクター・セイガンのチームが受け持つことになった。ピートはやっと英語も口にするようになったが、いっていることがあまり意味をなさないこともある。 25日(火曜日)になると、突然、わたしに向かって真面目な顔で、 「ぼくには二つのものが必要だ。君とベッドだ」 といったので吹き出してしまった。かなり正常に戻ってきた証拠には違いない。これからはチューブを1本ずつ減らしていくという。 それから1週間もすると、ピートはしっかり会話するようになった。きちんと英語でセンテンスを最後まで話す。 入院した3月10日から何が起こったかわたしはピートに話し始めた。彼は心臓が痛かったことは覚えていた。「ハニー、ウエイクアップ!」とわたしがかけた声も覚えているというではないか。あの時、目を瞑っていたが、やはりあの顔の奥で息をしていたのだ。 「この先は、長期治療のための病院を探さなくてはなりません」 ドクター・セイガンはそういってきた。ピートの場合、フィジカル・セラピーが必要なのでリハビリ病院へ行く必要があるが、人工透析も必要なので、両方できる病院となると選択肢が限られてしまう。 リストのなかに、ただ一つ生まれ故郷ブルックリンの病院名を見つけた。そこは美しい住宅街にある古い建物を改造した施設で、老人ホームとして長くやってきたが、1棟を改造してリハビリ・センターに作り替えたものだった。人工透析の設備はないものの、近くにあるロングアイランド病院へ行けば透析を受けられるという。 そのためにたった2ブロック先ではあるが、往復とも救急車を呼び、ストレッチャーで運び込むことになる。救急車の代金は患者負担になるけれど、ブルックリンならピートも安心することだろう。ようやく故郷へ帰ってきたと思ってくれるかもしれない。 (第10回に続く) ※『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部抜粋・再編集。
青木冨貴子(アオキ・フキコ) 1948(昭和23)年東京生まれ。作家。1984年渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。1987年作家のピート・ハミル氏と結婚。著書に『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』『たまらなく日本人』『ニューヨーカーズ』『目撃 アメリカ崩壊』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―』『昭和天皇とワシントンを結んだ男――「パケナム日記」が語る日本占領』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。ニューヨーク在住。 デイリー新潮編集部
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