危篤になった夫ピート・ハミル 「透析を止め、平和に逝かせては」医師の薦めに、わたしは──
生と死の境界線で
わたしは新鮮な空気が吸いたくなった。表を歩きまわり、1階でブラックコーヒーを買って病室へ戻ると、ベッドの隣に並んだモニターを見ていたインターンが呟いた。 「あら、脳波が良くなっているわ」 ピートに声をかけるとほんの少し反応するような気もしたが、まだ眠っている。わたしはピートの仕事関係者や友人へメールを送った。カリフォルニアに住む弟の四男、ジョンが駆けつけるという。この晩も病室へ泊まり込んだ。 翌20日(木曜日)早朝に目覚めると見事な晴天。イーストリバーから上る朝日で病室が明るくなった頃、再び、ピートに声をかけた。 「ハニー、ウエイクアップ!」 やっと少し反応したような気がした。 「ハニー、ウエイクアップ!」 少し大きな声で繰り返した。すると、ほんの少し目を細く開けて、握った手を心持ち握り返したではないか。 6時半にレントゲン技師、7時には神経外科の医師、7時半にはシルバースタインの医師団が回診にきた。チームのなかの女性医師が声をかけると、ピートはいわれたように2本の指を上げ、つま先を少し動かした。 「とても良い反応ですね」 若い女医さんも喜んでくれた。これだけ反応しているのに、酸素を止められたら、数時間で死に至るのだろう。 9時25分から人工透析開始。疲れ果てたので夕方いったんアパートへ戻ると、すぐに電話が鳴った。今度はバクテリアのMRSAに感染したという連絡である。病院へ取って返したところ、病室に入る時には必ず、青いプラスチックの衣類を羽織る、手袋もはめなくてはならない、と命じられた。退出時にはそれを脱いで所定のカゴに捨てる。ほんの数分出る時も、同様であるという。 この晩、わたしは青いプラスチックを着たまま、崩れ込むように病室の簡易ベッドに横になった。今や、病院がわたしの日常になった。アパートでのふたりの生活は幕を閉じた。ピートが生き残っても、そうでなくても。急転した現実が不意に迫ってきて、思わず身震いした。