<勇敢・豊川センバツまでの歩み>/上 実戦不足、不安な船出 全国の強豪に胸借りる /愛知
豊川の長谷川裕記監督にとって、昨年7月に発足した新チームの船出は不安しかなかった。旧チームでレギュラーだったのは、ショートの鈴木貫太(2年)と、3番を打っていたモイセエフ・ニキータ(2年)の2人のみ。チームには実戦経験が絶対的に足りない。初練習を見て、その不安は的中する。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 打球に対する一歩目の足の出し方、捕球してからの動き、スイングスピード……。攻守いずれのプレーにもキレが感じられなかった。 「6年間指導してきた中で最弱だ!」。2017年からコーチ、21年から指揮を執る長谷川監督は選手たちに発破をかけた。この時、甲子園は夢のような遠い存在だった。 ただ、それは選手たちも自覚していた。「弱いことは分かっていた。それなら練習すればいい」。新チームで主将に就いた鈴木の考えは明快だった。 猛練習が始まった。全体練習は午前6時から。ティーバッティング、転がる球を体の真正面で捕る練習などを繰り返し、攻守の基本動作を固めるとともに、ひたすらバットを握った。練習試合がある日もこのルーティンは変わらなかった。 バットを振り続けた鈴木は「本当にきつかった。人生で一番バットを振った」、トスマシンで打ち込む日々を重ねた副主将の山本羚王(2年)も「猛練習はきつかった」と振り返る。一方で2人は「きつい練習を重ねることで少しずつ自信につながっていった」と口をそろえる。 選手たちに実戦経験を積ませるため、長谷川監督は夏場の7月下旬から8月上旬まで、遠征を含めて15試合ほど練習試合を組んだ。相手は横浜や静岡、東海大菅生(東京)など各地区を代表する強豪校だった。 練習試合はほぼ負けた。ただ、好投手と対戦を重ねることで全国レベルの実力を肌で感じることができ、選手たちの練習に対する熱はさらに高まった。素振りやダッシュの本数はさらに増えていった。 練習の成果は着実に実を結ぶ。昨年8月から始まった愛知県大会予選となる東三河地区大会では、県大会出場を決める1次リーグ戦を勝ち抜き、シード権を得るための2次トーナメントでも優勝し、第1シードで県大会に臨んだ。 初戦の2回戦で名古屋、3回戦で西尾東をいずれもコールドで破ると、次戦の準々決勝の相手は昨春センバツ出場校の東邦だった。 マウンドに立ったのは県大会初先発の左腕・鈴木爽太(2年)。長谷川監督いわく「変則に動き、対策のしようがない直球」に、変化球を織り交ぜて相手打線を翻弄(ほんろう)。9回を1失点に抑え、3―1で勝利した。 「この試合は野手陣がしっかり守り切れた。選手たちもしっかり守ればロースコアの試合でも勝てると実感できたと思う」。僅差での勝利に、長谷川監督は選手たちの確かな成長を感じ取った。【塚本紘平】 ◇ 「最弱チーム」からスタートした豊川がいかにして東海地区の「最強」に上りつめたのか。弱さを認め、強者に「勇敢」に立ち向かい、センバツの切符を手にしたナインの戦いを振り返る。(題字は長谷川裕記監督)