敵討ちよりプロに行け 親友が導いてくれた道 浪商の〝3本悪〟が築いた固い絆 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<8>
《浪華商時代、〝部長の命令〟で断たれた甲子園への道。「敵討ちをして、俺も死ぬ」という怒りを鎮め、野球に引き戻してくれたのは友の存在だった》 【写真】張本勲さん「川上哲治さんにもNHKにも迷惑をかけちゃいけないと思ってTBSに入ったんです」 もう70年近く前の話だけど、いま思い出しても怒りがこみ上げてくる。でもそんな私の気持ちを踏みとどまらせたのが、親友の山本集(あつむ)でした。「敵討ちをしようと思う」と相談すると、集は言ったんです。 「張なぁ、そんなことはやめとけ。お前が死んだら、お前の好きなお母さん(順分(スンブン)さん)が嘆くぞ。3年間仕送りした兄貴(世烈さん)だって。お前には野球があるやろ。俺は野球がだめだから他の道に進むけど、お前はプロに入って、3年間死ぬほど必死でやって、それでダメだったらそれから敵討ちに行っても遅くないだろう」ってね。 本当にそうだと思いました。その言葉に救われた。集の言葉がなかったなら、そのまま行ってますよ、敵討ちに…。集はやんちゃだったし、「俺も手伝う」ぐらいは言いかねない。でも私のことを思ってくれたんだね。集には感謝しかない。 集とは2人でよく北新地とかミナミの繁華街をうろついてました。集は体が大きく、相手が何人おってもかかっていくようなタイプで力も強かった。私も負けないけど、あいつだけには負けた(笑)。3年生の夏のある日、立命館大の空手部と「動きの作法が気に入らない」とちょっともめたことがあった。相手は大学生です。「お前ら、浪商か。高校生やろ」ってね。 これには後日談があります。3年生の秋、私がプロ野球のキャンプに参加(東京・駒沢球場)するため、大阪駅に行ったときのことです。立命大の人たちが7、8人、大阪駅にきた。2カ月くらい前の件がある。「私を東京に行かせない」という。集たちも後輩と一緒に見送りに来た。「お前は行ってくれ、後は俺たちが」と言うので残して上京しました。 後で聞いたら何もなかったそうです。立命大の人たちは「高校生が大学生にケンカを売ったこと、それだけ謝ってくれ」って。「お前ら、逆だったらどうする? 中学生がお前らにケンカを売ったら、お前ら面白くないだろっ」と。集が「わかりました。申し訳ありません」と謝ったらサッと引き揚げていったそうです。やんちゃでも〝筋は通すタイプ〟が集でした。 《〝3本悪〟の絆…》
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