敵討ちよりプロに行け 親友が導いてくれた道 浪商の〝3本悪〟が築いた固い絆 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<8>
集は奈良のお金持ちの息子でね。浪商近くに一軒家を借りていた。「張よ、下宿代5千円はもったいない。部屋が空いているし、うちに来ないか」と2階に住んだことがある。ところが2年生になって集が補欠で、私がレギュラーに選ばれた。一緒に住んでいた集のお姉さんが作ってくれた弁当を持って試合に行くけど、集は試合に出られない、行けない。つらいよねぇ。それで1年ちょっとでそこは出た。でも友達付き合いは濃くなっていきました。
もう1人、大阪の鉄鋼会社の息子で谷本勲という男がいた。私が〝休部〟になった後、補欠で背番号14をつけた。3人とも甲子園を目指していた。張本勲、山本集、谷本勲と全部〝本〟が付く。名前は皆1文字、周りから〝3本悪〟って言われてね(笑)。集は物静かでケンカが強い。私は野球で、谷本は色男でまたモテたんですよ。
集は卒業後(智弁学園初代野球部監督をへて)、ちょっと道がそれて俠客(きょうかく)になったが、絵がうまかった。私と谷本が「絵を描けよ」って説得して、集は〝その世界〟から抜けて絵描きになったんです。谷本は事業で成功し、北海道の新冠町でディマシオ美術館を造った。私も訪ねたことがある。集はもう亡くなったが、絵はそこに飾ってある。谷本がずっと面倒を見ていたんだよ。今年の11月14日、美術館に秘蔵する絵画(ジェラール・ディマシオが描いた世界最大の油彩画)がギネスに認定されたと言ってた。すごいよ。いい仲間たちがいて、私は〝3度目の死の淵〟から救われたんです。(聞き手 清水満)
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