昭和26年生まれの私 作家、浅田次郎さん「おとぎ話をみんなで聞いた最後の世代」 プレイバック「昭和100年」
■永遠の里で震え上がった体験 僕の少年時代は昭和30年代。物心ついてから22歳で結婚する前の年まで毎年、母の里に帰っていた。客ではなく、子供が帰ってきたのと同じ。自分の茶碗(ちゃわん)があった。家父長制だとか、一子相続制だとか、そういうものが実情として残っていて、長男以外の子供には相続権がない。暗黙の了解として、永遠の里がある。 奥多摩の御嶽山(みたけさん)にある神官屋敷を舞台にした連作短編集の新刊「完本 神坐(かみいま)す山の物語」(双葉社)は、その時代の話。自分のことを書いた小説は、これだけかもしれない。 里に帰ってきた子供たちは、寝る前におばさんたちの誰かから言い伝えをいろいろ聞く。「階段を上っていってね、ひょっと見たら何が見えたと思う?」なんて、今考えてみれば相当盛られていると思う話を。 この本が実話だったら見えないものが見える設定の僕は超能力者。かなり盛って書いているけれど、狐(きつね)つきの話は大体、聞いたまま。冒頭の心中の話は、御嶽山でもとても有名な話。子供がみんな、いやになるほど聞かされ、いやになるほど震え上がった。他の話も、原型になっている物語はある。おばさんたちは全員がストーリーテラー。僕はあの家の血を引いているのかもしれないね。 ■三島由紀夫事件は時代の転換期 僕らはそういう、おとぎ話をみんなで聞いた最後の世代。みんなで聞くというのがミソ。みんなで面白がったから。一人で聞いた話はたぶん記憶に残らない。 御嶽山で自然に親しんでいなければ、文学に目覚めることがなかったのは確か。日本の文学は四季折々の風景の美しさを表現するところから始まっている。子供の目に映る緑は将来の創造の源泉になるから、自然を大切にしないと少なくとも芸術は生まれない。 昭和の強烈な記憶は前の東京オリンピック。時代の転換点といえば、昭和45年の三島事件もかなりの転換点だね。僕が自衛隊に入ったのは三島由紀夫さんが腹を切ったから。一浪したときだから19歳。豊かな時代に軍隊のまねをして趣味の悪いギャグだと思っていたら、ある日突然、腹を切って死んだ。小説家とは何かという大きな謎を残した。 あの頃の三島由紀夫は、知的シンボルでありアイドル。本職においてはザ・小説家。ずいぶん勉強させてもらった。それが腹を切った。とりあえず自衛隊に行かなきゃなって。