「女神丸事件」の謎を追って 遺族から学んだ、事実を記録する大切さ
今夏、平和連載の取材で「女神丸事件」の謎を追った。アジア太平洋戦争末期の1945年8月8日、高松沖で定期船が米軍機に襲われ、乗客ら28人が犠牲になった惨事で、国も自治体も調査をせず、公的資料はほとんどない。 【写真】米軍機の攻撃を受けた旅客船「女神丸」。修復されて戦後も使われた=撮影時期不明、関係者提供 関心を持ったのは、高松総局の本棚にあった単行本「女神丸事件」を読んだのがきっかけ。遺族の一人である新城周子さん(86)が生存者らへの聞き取りを元に自費出版した本だ。 7月、香川県・小豆島の新城さん宅を訪ねた。惨事から79年近く経っているにもかかわらず、乗船者の最期や当時の状況について声を震わせながら語った。 新城さんは当時7歳。惨事で叔母の伴時枝さんを亡くし、父の伴一さんもけがをした。30年後に開かれた慰霊祭を機に証言を集め始めた。 本については「人から聞いたことを書いただけ」と話したが、使命感のようなものを感じた。証言を聞くために、大阪や東京まで出向いたこともあったという。 その後、記者が取材を進める中で、女神丸を襲ったとみられる米軍機の作戦資料が、空襲研究者の工藤洋三さん(74)=山口県=が米国で集めたデータに含まれていたことがわかった。日本側では知られていなかった作戦の目的や攻撃の結果などが記されていた。 新城さんにそのことを伝えると、「(資料が残っているとは)夢にも思わなかった。ありがとうございます」と温かい言葉をかけていただいた。 11月、新城さんは「女神丸事件」の第4版を出版した。1歳の時に惨事に遭った男性が見つかり、生存者名簿に家族を含めた4人の名前が追加された。あとがきに記者への感謝も記されていて、大変恐縮した。 今なお事実を記録し続ける新城さんを心から尊敬している。記者として1年目、事実を残していく大切さを学ばされた。(木野村隆宏)
朝日新聞社