「女はどうせ辞めるから」に抗った若手時代 SHOW-YA 寺田恵子(61)「チェッカーズは同期だったんだけど」
1985年のデビュー以来、女性ロックバンドの先駆け的存在として活躍してきたSHOW-YA。そのフロントメンバーであり、ボーカリストを務めるのが、寺田恵子さんです。還暦を迎えてもなお、精力的にライブ活動を続ける寺田さんに、長かった下積み時代の苦労や、自分をさらけ出した楽曲でのヒットについてお聞きしました。(全3回中の1回) 【写真】「まさに美女ぞろい」SHOW-YAデビュー前の初々しい寺田恵子さんとメンバーたち「アイドルみたいですね」(全10枚)
■コンテスト入賞もデビューできず「女性バンドは断られる日々」 ── デビュー以来、40年近く歌い続けていらっしゃいます。子どもの頃から歌うのが得意だったのでしょうか?
寺田さん:歌うのは昔から得意でしたね。幼稚園の頃から音が出る楽器が大好きで、物心がついた頃には気づいたら歌っていました。それを見た幼稚園の先生が、私の親に「将来は音楽の道に進ませたほうがいい」って言ったくらい(笑)。 ── いつ頃からプロの歌手になりたいと意識しましたか? 寺田さん:初めてステージに立ったのは高1のとき。「学祭でボーカルを探している」って誘われたのがきっかけでした。高校生のときに三味線をちょっと習ったくらいで、音楽系の習い事を長く続けていたわけじゃなかったんです。でも、高校の担任の先生から「音楽をやっているときは一生懸命だね」って褒められて。見た目が派手で目立っていたので、音楽以外の評判はよくなかったみたいだけど(笑)。
── 当時から今のようなハードロックな曲調を好んでいたのですか? 寺田さん:最初は邦楽をよく聴いていたので、カルメン・マキさんの曲をカバーしました。彼女の曲を聞いたときに、この人の後を継ぐのは私しかいないって思ったんですよ。そこからロックに興味を持ちはじめて。でもまだ自分でバンドを組むところまでは考えていませんでした。 ── その後、現在のSHOW-YAの原型が作られていくわけですね。 寺田さん:17歳のときにバンドに加入して、そこからコンテストに出始めました。SHOW-YAを結成してからは、「ポプコン」(ヤマハポピュラーソングコンテスト)や「EastWest」というアマチュアバンドの登竜門となる大きなコンテストにも参加しましたね。チェッカーズも同時期にコンテストを受けていて、実は同期なんですよ。