「女はどうせ辞めるから」に抗った若手時代 SHOW-YA 寺田恵子(61)「チェッカーズは同期だったんだけど」
当時はコンテストに入賞すればデビューできるだろうと思っていました。ところが、入賞してもなかなかデビューが決まらない。まだ女性バンド自体が多くはなかったし、SHOW-YAのようなハードロックというジャンルは特に少なくて。ハードロックのバンドが業界的に売れなかったのと、「女子は一定の年齢になったら音楽を辞めてしまうから」という理由があったんだと思います。 ── もどかしい思いをされていたんですね。 寺田さん:本当にバンドでデビューできるのか不安になり、『スター誕生』(日本テレビ系/1971~1983年放映のオーディション番組)に応募したことがあります(笑)。見た目のせいなのか、見事に1次予選で落ちましたが。
■ただ音楽がやりたいだけなのに…髪を切らされ泣くメンバーも ── プロの道をあきらめそうになったことはなかったのでしょうか? 寺田さん:心が折れかけていたときに、SHOW-YAをデビューさせようと、メンバーが通っていた楽器店が音楽プロダクションを作ってくれたんです。そのプロダクションの働きかけで、目黒鹿鳴館という老舗ライブハウスに出演することになり、そこにレコード会社の方が見に来てくれて。それがきっかけで、ようやくデビューが決まりました。デビュー直後は同じジャンルのバンドがいなかったこともあり、すぐに売れてやる!って希望に満ちていましたね(笑)。
── 実際のプロデビュー後はどんな状況だったのでしょう? 寺田さん:衣装をコシノジュンコさんが手がけてくださったり、コシノさんが紹介してくださったヘアメイクの方に担当していただいたりと、力が入っていました。でも、私たちは“好きな音楽ができればいいな”くらいに考えていたので、ビジュアルに無頓着で…。音楽の話はしても、化粧やファッションの話はしなかったほど(笑)。 私は外見に案外こだわりがないタイプで、自分好みでない綺麗な服を着せられてもイヤではなかったけれど、メンバーの中には、伸ばしていた髪を切らなければならず泣いていた子もいました。当時はハードロックというジャンルの女性バンドがほとんどいなかったので、周りもどうプロデュースすればよいのかわからなかったのかもしれません。