「女はどうせ辞めるから」に抗った若手時代 SHOW-YA 寺田恵子(61)「チェッカーズは同期だったんだけど」
■自分をさらけ出した魂の一曲『限界LOVERS』が大ヒット ── それが『限界LOVERS』(1989年)のヒットへとつながったと。 寺田さん:そうですね。『限界LOVERS』から、自分で歌詞を書くのもやめたんですよ。日記みたいな走り書きを渡して、作詞家に書いてもらうことにしました。もう自分自身に嘘をつかなくなった。人間ってきれいごとだけではない、醜い部分もあるじゃないですか。そういう感情も全部、赤裸々に表現していこうって決心しました。
── ファッションも、胸元が見えてセクシーだけどカッコいい雰囲気でした。 寺田さん:ビジュアルも変えたかったんです。たまたま脱衣所で服を脱いでいたとき、鏡に映った自分の下着姿を見て「これだ! 」ってひらめいて(笑)。すぐに事務所に電話をして「この下着に鋲を打ってくれ」って伝えました。その頃から露出が多い衣装に変わりはじめました。「何も飾らない、心も裸同然です」っていう思いでしたね。 ──『限界LOVERS』も、次にリリースされた『私は嵐』も、今でもカラオケの定番曲としても、世代を超えて支持されていますよね。
寺田さん:でも当時は絶対に売れないって言われました。歌詞の女性像が強いのもあるし、音楽的にいうと今だと当たり前のツーバス(バスドラムを2つ使用すること)で、頭を振り乱して演奏していましたから(笑)。でもバンドにとっては「この曲で売れなかったらバンドを辞める」くらいの覚悟で決めた曲でした。だからそういう勝負するエネルギーがものすごかったのかもしれませんね。 PROFILE 寺田恵子さん てらだ・けいこ。1963年、千葉県出身。ミュージシャン、シンガーソングライター。高校在学中から音楽活動を開始。1985年、SHOW-YAのボーカリストとして『素敵にダンシング』でデビュー。1991年にSHOW-YAを脱退し、1992年に『PARADISE WIND』でソロデビュー。また再び2005年SHOW-YA再結成。現在もライブ活動を中心に活躍中。最新アルバムは2021年リリースの『SHOWDOWN』。
取材・文/池守りぜね 写真提供/寺田恵子
池守 りぜね