鎌田大地以外には? クラブとの別れ方が最悪だった選手(8)お金のため? アーセナルの生え抜きがライバルへ
日本代表の鎌田大地は、ラツィオとの契約延長交渉がまとまらず、わずか1年でイタリアを去ることに。この結果に、クラウディオ・ロティート会長筆頭にクラブ関係者から不満の声が出ており、日本人選手は良い別れ方ができなかった。今回は、そんな鎌田と同じく、クラブとの別れ方が最悪だった選手を紹介する。
DF:アシュリー・コール(元イングランド代表) 生年月日:1980年12月20日 所属元:アーセナル 移籍先:チェルシー アシュリー・コールはレジェンドの一人としてチェルシーサポーターから尊敬を集めている。しかし、もともとはアーセナルの選手であり、グーナーは宿敵へと移籍したこの男のことをあまりよく思っていないだろう。 アーセナルの下部組織出身の同選手は、2001/02シーズンから左SBのレギュラーに定着した。若くしてアーセナルの黄金期を支えた世界屈指の左SBとして評価を高め、同シーズンのプレミアリーグとFAカップの2冠や2003/04シーズンのリーグ無敗優勝など多くのタイトル獲得に貢献。2002/03シーズンからは3季連続でPFA年間ベストイレブンに選出されている。 このままアーセナルで順風満帆なキャリアを歩むかと思われたが、2005年1月にアシュリー・コールがクラブに無断でチェルシーと移籍に関して会談を行ったと報じられた。当然ながら同じロンドンに本拠地を置くライバルクラブとの会談はサポーターの怒りを買うものであり、ロマン・アブラモビッチオーナーの下で豊富な資金力を生かした補強を行っていたチェルシーへの移籍の噂から皮肉を交えて「Ca$hley Cole(キャシュリー・コール)」というあだ名がつけられた。 その後、アシュリー・コールは2006年夏にチェルシーへと移籍。引退後、コールは“禁断の移籍”の理由を「勝利への意欲のためだった」と言及。お金が理由ではなかったと明かした。ただ、理由がなんであれ、クラブ生え抜きの主力選手がライバルクラブへと移籍することはアーセナルサポーターが許すはずがない。
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