「主人公の目で街を眺めてみたら」『こまどりたちが歌うなら』寺地はるな
「言うだけならタダ」だから、とにかく言ってみる
この小説から受け取れる大切なことは、声を上げること。その象徴のように“こまどり”が、店名やお菓子の名前になって登場する。 「和菓子店の名前を考えていたときに一番しっくり来たのがこまどりでした。でもどんな鳥か全然知らなくて、調べてみたらすごく高く大きな声で鳴くと書いてあったんです。へえと思って作品を書いている間に、その名前がぴったりはまっていく展開になってきた。私の小説は勘で選んだものたちがどんどんつながってできていくことが不思議と多いんです。だからこのこまどりも、進むうちに物語の大事なものと結びついていきました」 茉子は休日出勤手当や代休取得など、労働者としての当然の権利を主張したことで社内から厄介な人と見られ、黙ることも考えるけれど、やはり声を上げ続ける。その結果、見えなかったことが見えてきて、労基法に照らし合わせて独自ルールを正すだけではない展開に向かう。 「人間は主張を聞いてもらえない状況が続くと、亀田さんのように黙るようになってくるもの。でも口にしてみると案外すんなり受け入れてもらえることもあります。私はちょっとした希望もあまり言わないタイプで、それは子どもの頃からの、自分が我慢すれば波風は立たないという発想が染み付いているから。でも20代の頃にいろいろな会社の人が集まる研修会で、エアコンが効きすぎて寒かったので私はカーディガンを羽織ったんですが、斜め前の人が『冷房の温度を少し上げてもいいですか』と講師に許可を得て設定温度を上げていた。それだけのことですが、言っていいんだと。駄目と言われたら、そうなんだと思えばいいだけなのに、そんな単純なことを私は今まで自分が我慢すればいいとずっと思い続けていたんだと気づいて、とてもびっくりしました。これも土地柄なんですが、大阪には『言うだけならタダ』『言ってみてうまくいったら儲(もう)けもん』みたいな思想が浸透している。それはとてもいいこと。だからもっと気軽に言ってみてもいいのかもしれない、と今では思います」 「ちょっと寒い」と素直に言ったときに、「私はそんなに寒くない。気温は高い」と反応する人がときどきいる。それは「寒いと思っているあなたはおかしい」という感覚の否定につながるもの。悪意はなくてもそれが続くと、だんだんと言っても仕方がないという諦めになっていく。かつて、亀田さんが当時の社長に訴えてもいなされてだんだん口をつぐんでいったように。 「怒ったり文句を言ったりするのは疲れるから、無になったほうが楽なのはわかります。でもそこを超えて言い合いたい。『いいえ、私は寒いんです』と。ただそれも、亀田さんに比べて茉子ちゃんが特別に強いとか、言い方がうまいというわけではまったくなく、時代というのもかなり大きいと思います。書き手の私も生活していくなかで、当然社会の影響を受けています。その上で目にするものも考え方も、固まるのではなくてむしろ変わっていきたい。ここ数年で、正しいと思っていたことがもしかすると間違っていたのかもしれないということが多々ありました。間違っていたとわかれば変えていけばいいんです。自分の正しさみたいなものに、しがみつかずにいたいなと思います」 「小説すばる」2024年4月号転載