立浪監督の退任を斬る!ミスター・ドラゴンズはなぜ方針を"貫けなかった"のか
その日がやって来た。中日ドラゴンズの立浪和義監督が今季限りの辞任を表明した。強き竜の再建へ、期待を一身に背負っての3年間だったが、残念ながら結果は出ず、現役時代から親しんできたドラゴンズブルーのユニホームを脱ぐ。(敬称略) 【動画】立浪監督がセカンドで起用した田中幹也の高速美技はこちら!【0分48秒~】
期待~打撃向上と規律徹底
待望久しかった3代目「ミスター・ドラゴンズ」の監督登板には、期待しかなかった。他球団からの誘いも断って、12年間ドラゴンズからのオファーを待っていてくれた立浪和義。2011年(平成23年)を最後にリーグ優勝から遠ざかっているチームを立て直す"切り札"だった。 監督就任会見での「打つ方は必ず何とかします」と言い切った言葉にファンは喜び、「茶髪やひげの禁止」という厳しい方針にファンまでもが緊張した。しかし、監督だった3年間、得点力が上向くことはなく、規律のルールも、チームに復帰したソイロ・アルモンテの"名物ひげ"を認めたことから、なし崩し的に崩壊した。
暗雲~コーチ配置転換
多くの期待を一身に受けてスタートした立浪ドラゴンズだったが、監督1年目の2022年(令和4年)5月に驚きの出来事があった。中村紀洋1軍打撃コーチの2軍への配置転換である。立浪監督自らがコーチとして招致しただけに、開幕わずか2か月での異常事態に「チーム内に何かあったのか?」と不安を覚えた。 その直前には「戦う顔をしていない」と、選手会長の京田陽太が遠征先から強制送還されたが、それは厳しさの延長線上のこととして納得だった。しかし、ペナントレースを戦う上でベンチの一体感は不可欠だけに、中村コーチの"人事異動"は、最初に歯車が狂った瞬間だったのかもしれない。
疑問~若手の起用は続かず
新監督の1年目はリーグ最下位だった。しかし、最多安打のタイトルを獲った岡林勇希を筆頭に、石川昂弥や土田龍空(現・龍空)ら、多くの若い力が芽吹いた。「強い二遊間を作りたい」という方針の下、ドラフトでは内野手を多く指名した。しかし、そんな彼らがなぜか次第に目立たなくなった。采配には継続的な起用がなく、1軍と2軍を行ったり来たりする若手も多かった。 次の2023年ドラフトでは、即戦力投手よりも、またしても内野手の補強が優先された。このころから、ファンの間でも立浪采配に対して「なぜ?」という数々の疑問が芽生え始めた。戦績は2年連続の最下位だった。長いドラゴンズ球団史で初めての屈辱だった。