日本人の「外交ベタ」っぷり、じつは「日露戦争」のときからほとんどかわっていなかった
外交官は外国と良好な関係を築いていくことが重要な任務である。そのためには、相手国の政府や外交当局に働きかけるだけでなく、相手国の国民に対しても積極的に働きかける必要がある。 【写真】「日本のどこがダメなのか?」に対する中国ネット民の驚きの回答 パブリック・ディプロマシー(public diplomacy)とは「伝統的な政府対政府の外交とは異なり、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動」のこと。日本語で簡略に言えば「広報文化外交」や「公共外交」ということになる。 そして今はまさにパブリック・ディプロマシーの時代だ。だが、残念なことに、これこそが今の外務省に欠けている要素だと言わざるを得ない。外務省は、自国メディアはもちろんのこと他国のメディアに対する意識をもっと高めなければならない。 ※本記事は、『歴史戦と外交戦 日本とオーストラリアの近現代史が教えてくれる パブリック・ディプロマシーとインテリジェンス』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集したものです。
外務省のメディア対策の重要性
山上信吾(以下、山上):外務省のメディア対策は、次の2つの大きな理由から、今後ますます重要になっていくと思います。 ひとつは、外交政策は、国民の理解と支持なくしてはあり得ないということです。 いま何が起きているのか、国際情勢はどうなっているのか、それに日本政府はどう対応して、政策を講じていくのか――こうした説明を国民に対してしっかり行わないと、外交政策に対する国民の理解と支持は得られません。そして、国民の理解と支持がない外交政策ほど脆弱なものはない。 そう考えれば、外務省がメディアに説明し、メディアを通じて国民の理解を得るのは、外交という大きな仕事の一環だと言えます。アメリカの国務省をはじめ外国政府の人間と付き合うことだけが外交ではありません。メディアの人間と話をするのも外交だという意識が、まだまだ外務省は弱いと思います。 山上:外務省のメディア対策が重要である2つ目の理由は、今がもはやパブリック・ディプロマシー(public diplomacy)の時代だということです。 外務省のホームページにある説明を借りると、パブリック・ディプロマシーとは「伝統的な政府対政府の外交とは異なり、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動」のことです。日本語では「広報文化外交」や「公共外交」などと訳されています。 要するに、外交官は、外国と良好な関係を築いていくにあたって、相手国の政府や外交当局にだけ働きかければ済むわけではなくて、相手国の国民に対しても積極的に働きかける必要があるということです。 例えば、現地の日本大使館のSNSやホームページを活用してその国の人々に直接働きかけるという手段もありますが、大抵の場合、あまり興味を持ってもらえません。日本のケースで考えてみてもわかりますが、外国の大使館のSNSやホームページなどをわざわざ見ようとする日本人の方が少ないですよね。よほど魅力的なコンテンツを定期的に発信しているならともかくとして。 そうなるとやはりメディア対策、すなわち現地のテレビに出演する、新聞に寄稿する、シンクタンクで発言するといった手段がますます重要になります。 要するに、相手国のメディアに働きかけることなくして、パブリック・ディプロマシーなどできないわけです。外交当局同士による水面下のディールで外交が完結する時代は、とうの昔に終わりました。 この意識もやはり日本の外務省はまだまだ遅れています。私はそこを少しでも変えたいと思い、僭越ながら、在外の大使としてのひとつのベンチマークを設定しておきたいという気持ちがありました。 山岡鉄秀(以下、山岡):自国のメディアに対しても、他国のメディアに対しても、とにかくメディアに対する意識を高めるべきですよね。それは本当に今の外務省に欠けている要素だと思います。