【若一調査隊】「謎の大王」“ミステリアスな古社”「交野天神社」 住宅に突如現れる原生林 第26代天皇・継体天皇が即位した樟葉宮とは?
(若一さん) 「そしてですね、ここに石碑があります。『史跡 継体天皇樟葉宮跡伝承地』と」 (五十嵐P) 「まずあの、継体天皇がどういった方かって、私あんまり馴染みがなくてわからないんですけど」 (若一さん) 「継体天皇に関しては、大変多くの謎があります」 (五十嵐P) 「謎があるんですか?」
「継体天皇」が謎の大王と呼ばれる理由とは? (若一さん) 「継体天皇の前の天皇が、25代の武烈天皇っていう悪いことばっかりして何一つ良いことをしなかったという天皇が先代にいまして、その武烈天皇が亡くなられた時に子供がいなかったんですね。それで、次の天皇を決める関係の重臣達が集まって、この継体天皇が選ばれるわけですけど、その時この継体天皇は今の福井県のあたりを治めていました」 (五十嵐P) 「福井にいたんですか!?」 (若一さん) 「今の滋賀県の高島あたりで生まれて、すぐお父さんが亡くなられて、お母さんの出身地である今の福井県のあたりに移ってそこで暮らしておられて、実力者になられて、その辺りを治めておられて。そこにヤマト王権から次の天皇を引きいいってくれという話がいくワケです」 継体天皇は当初、何度も即位を辞退したそうですが、ヤマト政権の権力者・大伴金村(おおとものかねむら)らのたび重なる説得を受け、507年にこの樟葉の地で天皇に即位しました。 (若一さん) 「その時に継体天皇は57歳ぐらいなんですよ」 (五十嵐P) 「57歳!?」 (若一さん) 「そうです。その年齢で即位するというのも、ね」 (五十嵐P) 「当時の57歳って今の57歳とまた違いますよね」 また、継体天皇は応神天皇の5代離れた子孫であり、天皇との血縁が薄いうえに、都から遠く離れた北陸にいたものの、なぜ皇位を継承できたのか?理由は未だはっきりとしていないそうです。 継体天皇が『謎の大王』と呼ばれる理由は他にも…
(若一さん) 「継体天皇がここで、ですよ、伝承によりますと即位されて、ここに宮を編んでですね、ここで5年くらいおられたということになっているわけですよね」 (交野天神社宮司 片岡宏之さん) 「なぜここを選ばれたかっていうのはこちら、ずっと流れております淀川でございますけど、丁度この淀川の方が木津川とか、京都と大阪湾を結ぶ大きな川、枚方の川を使って政治をしやすいような形です」 (若一さん) 「大変重要な場所で、ここから九州なんかも連絡しやすい、交通の非常に集約点でもあったということです」 こうして政治を行いやすい樟葉の地で、天皇に即位した継体天皇ですが、その後、ヤマトに入るまで20年の月日を要しました。なぜ20年もかかってしまったのか?その理由にも謎が…
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