「金輪際、親子になれないがそれでもいいか」貴乃花光司が語る相撲の原点と父子物語
ターニングポイントとなった幕下に上がる一番
―入門が出発点となって、横綱まで出世されますが、記憶に残る試合を教えてもらえますか。 貴乃花さん: これは、たくさんあるから迷いますね。 まずは初土俵。当時丸坊主少年の私は、花道に立って出番を待つときに体がふるえていました。 土俵に出ていくのが怖くて怖くて、どこかへ逃げてしまいたいという気持ち。 この空間がなくなってしまわないかな、と願ってしまうほど初土俵に動揺していました。 教えられた相撲所作をやるのが精一杯。 ぎこちないんですけど、それを見せないように気張って土俵に上がったのですが、やっぱり緊張して。 ギリギリまで、いろんな人の顔が頭に浮かんできて。 幸いにも試合は勝てたのですが、余裕もなく頭が真っ白でした。 安心してほっとしたというより、心臓がバクバクしたまま、なんか終わった、という感じでしたね。 幕下に上がる一番もよくおぼえていますね。 十両になるのも大変なんだけれど、幕下になるのも本当に大変。 この試合に勝てば上がれるという一番なんですけど、そのときも大緊張。 土俵下の控えにいながら、体がブルブルふるえていたんです。 ところがそのとき真横にいたのが審判役だった師匠(父親)。 私の不甲斐なさを見ていられなかったんでしょう、横から「緊張するな!」と喝を入れられたんです。 泡を食ったんですけど、それでも緊張はやまず、それをおさえてやっとこさ勝つことができました。 ―貴乃花さんが相撲の対戦でそんなに緊張しているとは知りませんでした。 貴乃花さん: いやいや、体は大きいんですけど、気は小さいんです(笑)。 まあそれだけ、相撲が怖かったというか、実際に強い対戦相手ばかりでしたから、相当鍛えていてもケガと隣り合わせ。 無差別級の体のぶつかり合いですから、それこそ命がけなんですね。 相撲の対戦を重ねていって緊張が取れたのは、新横綱になって土俵に上がったときです。 語弊があるかもしれませんが、これで役割を果たしたというか、私の分身である師匠(父親)の体をお借りして、自分が横綱になれたような心持ちだったんです。 これで、いつでも引退できる。そのときだけです、肩の力が抜けたのは。 新横綱のひと場所は前半2敗したんですが、肩の力が抜けて逆にタガがしまった。 大げさに言うと、ああ、いつ死んでもいいんだから、もうやるだけやればいい。 いわく言いがたいんですけれど、これまでとは感覚が変わったと自覚しました。 師匠(父親)の先代が横綱になれず大関止まりだったことは、子どもの頃からずっと自分のなかに悔しさとして根づいていました。 うちはしつけが大変厳しかったんですけど、特に、父親の対戦のときは正座してテレビで応援するのが習わしでした。 兄と一緒に、ずっと手を合わせて「がんばれー」と祈る。 勝てばバンザイですが、父親が負けると悔しくて悔しくてたまらない。 それはもう父親のことが大好きでした。 さっきも説明したように、力士になるつもりはなかったんですけど、気がつけばそうなっていたというのが本当のところかもしれません。 人生って不思議ですね。