「金輪際、親子になれないがそれでもいいか」貴乃花光司が語る相撲の原点と父子物語
入門をすると「師弟」となり、もう二度と「親子」には戻れない
―それで、どうしたんですか。 貴乃花さん: 子どものときから私は人に相談するタイプではなくて、入門するかどうか自分ひとりで悩んでいたんです。 高校へはエスカレートで進学できますし、親はそのまま大学へ進んでほしいと願っていたはずです。 部活が終わって帰宅するのは夜8時。家族で食事したあと、ひとりで黙々と腕立て伏せをしたり、その間ずっと力士になろうかどうか考えていました。 中学卒業間際、食卓で父親に「お話があるんです。考えるだけ考えたんですが、入門させてください」と申し出ました。 そしたら父親が、こいついきなり何を言い出すんだという驚いた顔をして、「ちょっと待て」と。 父親は相撲の厳しさを嫌というほど味わっているし、子どもにはそんな思いはさせたくないんです。 「1週間待て」と言われ、それが何遍も続きました。 やがて父親も私の熱意に根負けし、入門を許してくれました。 当初は外の部屋に出される予定でしたが、周囲の勧めで自分の藤島部屋にすることにしたそうです。 そのとき「光司、相撲は本当にきついぞ。生半可な気持ちでやるんならいますぐやめとけ」「決めたことです、お願いします」「そうか、わかった。それと、親子であるけれど師弟になる。金輪際親子になれないけれど、いいか」「結構です、お願いします」。 私、子どもだったんですけど、すごく必死で、ただただお願いするだけでした。 言ってみれば、それが転機ですね。 ―恩師の武井先生には相談したのですか。 貴乃花さん: いや、そのときは恩師にも相談しなかったんです。 その後父親から報告や相談を受けたんでしょう、恩師は厳しいプロの世界に行かせることに消極的でしたから悩んだと思います。 私の入門が決まると、職員室に私を連れていき、「光司が入門するって言うんです。応援してやってください」と挨拶回りをしてくれました。 学校で最も厳しかった学年主任の先生が、私の行く末を心配したのか、「光司、これを持ってけ!お守りにするんだぞ!」と「龍」と書いた「書」を手渡してくれまして、私こらえきれなくなって、それまで人前で泣いたことなどなかったんですけど、パッと職員室を飛び出してわんわん泣いてしまって...。 そんなことがありましたね。 それで恩師が「5年間プロでやっていい。プロは甘くない、5年間でモノにならないことも山ほどある。5年間やってモノにならなかったら俺んところへ戻って来い」と、送り出してくれました。 ダメならば、すべて面倒見てやるということなんでしょうけど、あんなに部活で厳しかった先生が、こんなにもあたたかい。 何も言葉を交わさなくても、強い愛情がひしひしと伝わってきました。 あの光景も胸に焼きついていますね。