「ジョブズはアスペルガーだった」説は迷惑… 精神科医が説く“不利ばかりではない”社会事情
アスペルガー障害の主症状は「5つ」
「人生はまだまだこれからです。先々何か困ったことがあれば、来てください」 裕介の診察は終了した。しかし、これで裕介が精神科医療から永遠に無縁でいられるという保証はない。取り巻く人たちが裕介の特性に寛容でなくなれば、おそらく問題が生じてくるであろう。裕介が今日の結果を自らにフィードバックして、自ら克服できる力をつけていくことができるかどうかが鍵となろう。 アスペルガー障害の主症状は、DSM-5(アメリカ精神医学会の診断基準)によれば以下の五つが挙げられる。 1.社会性の障害(対人関係の障害) 2.コミュニケーションの障害(相互のやりとりが苦手) 3.社会的想像力に乏しい 4.こだわりが強い 5.感覚過敏(音や匂いに敏感) 社会性の障害については、アスペルガー障害の中にもいくつかのタイプがある。他人との関わりを求めない「孤立型」は、他人とのつきあいをせず、好きな電車やゲームばかりに凝っている青年などが例だろう。 ほかにもタイプはあるが、裕介はさしずめ「積極奇異型」になるだろうか。他人と関わることには関心はあるのだが、関わり方が不器用かつ不自然なタイプである。いわゆる空気が読めない、不思議ちゃん、と評される人たちである。コミュニケーションの障害、社会的な想像力は、相互に不可分の関係だ。いわゆる「コミュ障」と言われる問題である。 相手の考えを想像できずに、自分の言いたいことだけを言えば、会話は一方通行になる。逆に、相手に聞かれたことしか話さない、相手の話に興味をまったく示さないといった、極端に受動的な場合もある。目と目を合わせないというのも、コミュニケーションでしばしば見られる特徴である。さらに感情表出も苦手としていることが少なくない。笑顔が自然に出るような場面でも、硬い表情をしているということである。
現代社会とアスペルガー的特性
わたしは裕介を、今のところは個性のレベルに留め置き、精神科医療が関わることはむしろ治療的でないと考えた。人の個性を病気扱いしなかった、ただそれだけのことである。 ただ、裕介自身も、幼少時から今を通じて感じている違和感は隠さなかった。学校では勉強かスポーツだけこだわってやっていればよかったが、社会人になるとそういうわけにもいかない。他人とのコミュニケーションが不可欠になってくる。そこで、問題が生じて精神保健のサポートを受ける場合もあれば、その人なりの対処や克服方法で乗り切って、発達・成長を続けていく人もいる。 むしろ最近では高名な科学者やアスリートなど、社会的に成功した人物がアスペルガー障害と診断されたことにより、アスペルガー障害に対する偏見が弱まったという見方もある。アメリカの動物学の権威であるテンプル・グランディンは、アスペルガー障害と診断されながら、社会的成功を収めた人物の代表的な例である。 しかしながら、アスペルガー成功者をあまりに喧伝するのも賛同できない。なぜならば、障害レベルの症状を抱え、社会的サポートを必要とするアスペルガーの人がいるからである。 最近では社会的成功者、たとえばスティーブ・ジョブズもアスペルガーだった、などという記事をときたま見る。たしかにジョブズにアスペルガーの傾向はあるかもしれないが、正式な診断を医師から受けたわけではもちろんなく、まして没後となってしまっては逸話ばかりが一人歩きしている。成功者伝説となっている人物にとっても、アスペルガー障害で実際に苦しんでいる人にとっても、どちらにとっても迷惑な話だ。 やはり、アスペルガー傾向を持つ人の社会機能は、ミクロに見れば職場など周囲の環境、マクロに見れば社会環境によって、大きく左右されるだろう。 たとえば研究者などは、アスペルガー障害の人に向いている職業と言われる。黙々と一つのことにこだわって打ち込むアスペルガーの特性が、最大限に活かされるからであろう。余談ながら、医学部にもアスペルガー傾向を持つ学生は少なくない。膨大な知識の暗記を求められる医学は、まさに彼らの特性を活かせる領域とも言える。