「私はこの世にいませんが...」自分が出演する“メッセージビデオ”を葬儀で上映 ビデオ制作中に家族への思いあふれ涙「作ってよかった」【終活】
字は書けないがビデオなら 離れて暮らす家族へのメッセージ
司会とビデオを制作したのは、松尾さんの大学の同級生で元MBSアナウンサーの子守康範さんです。子守さんは大阪でビデオ制作会社を経営していて、松尾さんのように生前にメッセージビデオを作りたいという依頼が少しずつ増えているといいます。 (子守康範さん)「“思い”は十人十色で全く違うので、その“思い”にどれだけ即したものを作れるか、毎回試行錯誤です。(誰もが自分の死後を)体験していないので、どういうことかわからないけれど頼んでみたいと」 今年2月、子守さんの会社に千葉県から訪れた大山さん夫妻。妻の静美さん(85)は49年前、台湾から来日しました。元気なうちに外国で暮らす子どもたちにメッセージを残したいといいます。 (子守康範さん)「特に『これは言っておかなあかん』ということはありますか?」 (大山静美さん)「たぶん、全部…ざっくばらんという感じで」 文章で残そうとしましたが、静美さんは字が書けません。ビデオならできる、と収録に臨みます。 【収録の様子】 (大山静美さん)「本日は私の葬式に来ていただいて、ありがとうございます」 (子守康範さん)「『もう亡くなっていない』ということと、『ありがとう』を言いましょう」 (大山静美さん)「このビデオを見ていただいている時は、私はもうこの世にはいません。当時のあなた(三男)は自分の生活でも精いっぱいで大変だったのに、よくやってくれましたね。それだけじゃなく、兄弟たちの分も頑張って応援してもらって感謝します。本当によくやりました。ありがとうございました」 子どもたちへの感謝の言葉も。別れの時は来ていないけれど、家族への思いが交錯します。
「子ども・孫への思い出…最後のメッセージという感じ」
3歳の時に父を亡くした静美さん。親戚の家に預けられ、学校にはほとんど通えませんでした。2回結婚し、息子4人に恵まれましたが、夫の借金返済に追われ離婚。叔父を頼って36歳の時、3人の息子と来日しました。長男は兵役のため台湾に残りました。日本では貯金を取り崩しながら生活をしていましたが、長くは続きませんでした。 (大山義男さん)「どうしようもない、何か収入の道を考えないといけないという時に…」 (大山静美さん)「スナックをやりたいと。歌舞伎町で」 この時、店を訪れた義男さんと出会い、3度目の結婚。息子たちも義男さんを「お父さん」と慕ってくれました。 (大山義男さん)「ありがたいことに(妻よりも)大事にしてくれる」 その後、夫婦で中華料理店を始め、雑誌にも掲載される人気店に。ところがバブル崩壊などで経営が行き詰まり閉店。アメリカで仕事を見つけて活躍する息子たちの支えもあって、今、穏やかに暮らしています。 (大山静美さん)「自分は書くことはできないし、文章を残すことはできないから、せめてビデオだけは子ども・孫への思い出…最後のメッセージという感じ。この道を選んだことに後悔はないと」 日本、台湾、アメリカ。離れて暮らす家族に自らの人生と感謝の言葉を伝えたい。ビデオならいつでも見てもらえる、と考えました。
静美さん「ビデオを作ってよかった」 子守さん「上映するのはまだ先ですよ」
9月5日、大山さんは完成したビデオを受け取るため再び大阪へ。 (大山静美さん)「来年で(来日して)50年なのに、どうして日本語をうまく話せないのか…」 (子守康範さん)「言葉は関係ないです。気持ちですから。一緒に見ましょうか」 87歳の義男さんと85歳の静美さん。「さよなら」を告げるメッセージビデオは、いつか訪れる別れの時の、家族への最後のプレゼントです。 (大山静美さん)「ありがとうございました。作ってよかった…」 (子守康範さん)「上映するのはまだ先ですよ」 (2024年9月20日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特集』より)