悪夢の歴史…日本代表、背番号10の系譜(3)驚愕の大逆転負け…! 史上最高の天才も爪痕は
日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号10を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回は18年ロシア大会までのワールドカップで10番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
ドイツW杯
背番号10:中村俊輔(セルティック) 生年月日:1978年6月24日(27歳) 個人成績:3試合出場/1得点0アシスト 戦績:グループステージ敗退 桐光学園から横浜マリノス(現F・マリノス)に加入し、1999年にJリーグベストイレブン、翌年には年間MVPを最年少で獲得した中村俊輔。フランスワールドカップで背番号10を背負った名波浩に代わって日本代表でも10番を背負ったが、日韓ワールドカップの本大会メンバーからは落選した。 失意の落選の後、俊輔はイタリアに渡った。ジーコが監督に就任した日本代表では03年のFIFAコンフェデレーションズカップで3得点、04年のアジアカップではMVPに輝いてチームを優勝に導くなど、中心選手として活躍。05年にはスコットランドの強豪セルティックに移籍して国内2冠に貢献し、翌年のドイツワールドカップに選出された。 初戦のオーストラリア戦で俊輔は3-4-1-2のトップ下で先発している。26分、右サイドに流れた俊輔はゴール前にクロスを上げると、ボールはターゲットの高原直泰と柳沢敦、相手GKとDFが誰も触れられずにゴールへと吸い込まれた。 ラッキーな形から先制に成功した日本代表は勝利まであと一歩のところまでつけたが、終盤の3失点で逆転負けを喫した。続くクロアチア戦は得点を奪えずに引き分け。玉田圭司のゴールで先制したブラジル戦は4失点と力の差を見せつけられ、日本代表はグループステージで姿を消すこととなった。 俊輔は3試合すべてにフル出場。2戦目以降は右サイドハーフでプレーしたが、ゴールに絡んだのはオーストラリア戦のゴールのみ。4年越しの大舞台で爪痕を残すことはできなかった。
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