自分で決めれば逃げ道も後悔もない、節目ごとに巡り合うタイミングの良さ・福留孝介さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(41)
2002年に新しい打撃コーチに佐々木恭介さん(近鉄監督時代は高校生の福留さんの交渉権を抽選で引き当てる)が来られて「俺の言うことを信じろ」って。今まで自分がやってきたことをゼロにして、言われたことを1から100まで全部聞いてみようと思いました。自分が変わろうと思ったタイミングと、周りの環境が変わったタイミングが一緒だったっていうのはありますね。唯一変えなかったのは左打ちでバットを振るってことだけ。それ以外のタイミングの取り方、バットの位置、手足の使い方、もういろいろ変えました。その年に首位打者を取って、プロでやっていけるかもと思いましたよ。 07年に肘の手術をアメリカで受けたんですね。時間があったんで大リーグの試合を球場で見た時に何かすごく新鮮だったんです。鳴り物があるわけでもなく本当に静かで、バットの音、投手のリリースする瞬間の音も聞こえた。こういう世界も面白いなって。けががなければ日本に残っていた可能性はありました。
野球とベースボールは、やっぱり別物です。人それぞれ感じ方はあると思いますけど、日本では全体的なバランス、向こうは遠くに飛ばすとか速い球を投げるとか本当に純粋なものが、お客さんの注目を集める。郷に入れば郷に従えじゃないですか。そういう野球を楽しんでみようかなと思ってました。大リーグは大ざっぱに見えますが、効率性じゃないですけど守備のシフトだとか、いろんなことを日本よりも先駆けてやっている。アメリカって意外とトレーナーの権力が強い。日本ではまずないですが、トレーナーが駄目って言ったら、監督が何を言っても駄目なんですよ。選手を守るために、そういうシステムがちゃんとしています。 ▽小さい時から後悔することがほとんどなかった 日本へ戻る時に阪神を選んだのは良い選択だと、もちろん思っています。いろいろお話をいただいてましたけど、決め手が(甲子園球場の)天然芝だったんで。アメリカで5年間、人工芝の上でやることはほとんどなく、ここから人工芝って体への負担が大きいかなっていうのが、いの一番にありました。