“元暴走族リーダー”牧師が若者の更生を支援 裏切り、暴言「やけどじゃ済まない」のになぜ続けるのか
支援の中にあるキリスト教の教え
支援活動を行う上で、野田さんは自分自身を「支援者と思っていない」と話す。 「気持ちの上では、“回復共同体の先行く者”と思っています。仲間みたいな感じですね。もちろん、そんな言葉で表現できない場面もあります。だけど心の中では仲間だと思っているから、絶対に上から目線にはならないし、『受け入れたってんねんぞ』って態度はしない。僕だったら、そんな大人のところで世話になりたくないですからね」 若者と接する際は、「特別なことは何もしないで一緒にいる。話をしてくれたらただ聞くだけ。考えを押し付けない」を大切にしているそうだ。聖書にある「あなたがたがゆるさなければ、天の父はあなたがたをお許しになりません」の一節を用い、野田さんは言葉を続ける。 「自分は若者を応援する立場だと誤解していると、心無い言葉や裏切りを許せなくなります。でも、自分自身も許された罪人だと思えば、迷惑をかけられたからといって『許さん』という発想にはならないですね。腹が立って『なんやねん』と思うことがあっても、最終的には聖書の教えに従って、会いに行く。 聖書には『あなたのパンを水の上に投げよ。のちの日になってそれを見いだそう』という言葉もあります。人に対して何かすること、応援するってことは、水の上にパンを投げているようなもので、無駄に見えるかもしれない。でも、いつかきっと実がなる。そういった教えが自分の中にあるので、『やめとこうかな、向いてないな』と思う日があっても、励まされて戒められて続けています」 他人の人生に介入し、自立を支えるのは容易ではない。時には深く傷つくこともある。取材の最後に野田さんは、「子どもたちからいろんな学びをさせてもらっている。自分も一緒に育っているような気持ちを持っています」と、今まで巣立っていった若者たちとの写真を見せてくれた。そこには、まるで家族のように笑い合う若者たちと野田さんの姿があった。 ■倉本菜生(くらもとなお) 1991年福岡生まれ、京都在住。龍谷大学大学院にて修士号(文学)を取得。専門は日本法制史。 フリーライターとして社会問題を追いながら、近代日本の精神医学や監獄に関する法制度について研究を続ける。 主な執筆媒体は『日刊SPA!』『現代ビジネス』など。精神疾患や虐待、不登校、孤独死などの問題に関心が高い。 X:@0ElectricSheep0/Instagram:@0electricsheep0
倉本菜生