“元暴走族リーダー”牧師が若者の更生を支援 裏切り、暴言「やけどじゃ済まない」のになぜ続けるのか
ひとりの若者を通して知った「支援の連続性」
若者支援を行う中で、PTSDと同様の「二次受傷」を負ってしまったり、「何もできなかった」と悔やむことも少なくない。それでも活動を続けるのはなぜか。野田さんは忘れられない体験を語ってくれた。 「ある男の子の支援をしたときのことは、今でも心に残っています。その子は複雑な生い立ちをたどっていて、乳児院、児童養護、里親、児童自立、里親、少年院と、ずっと社会的養護のもとで暮らしていました。17歳のときに2回目の少年院に入るも引受先が見つからず、20歳になる直前まで退院できなかったんです」 少年院は引受先がなければ、20歳を迎えるまで退院できない。少年は今までの里親先で暴行や窃盗を繰り返していたため、複数の支援団体から引き受けを断られ続けていた。 「里親先での非行行動は“愛着の歪み”を物語っているので、支援団体側も『これはちょっと難しいな、無理だな』となっちゃうんですよね。彼は法務省の更生保護施設での受け入れをすべて断られて、6つのNPO団体からも断られていました。そこで、僕たちに声がかかったんです」 「行き先のない子を助けたい」との思いから、野田さんは彼との面会に行き、引き受けると決めたという。 「窃盗癖がひどいと聞いていましたが、僕たちからお金を盗むことはなかった。暴力性だけが少し残っていたけど、暴言を吐くくらいで実害もありませんでした。ただ周りからは、『あんな誰も引き受けない大変な子を受け入れてすごいね』と言われましたね。僕たちは若者を引き受けるとき、その子とよりよく関わるために、それまでの支援者に『彼を引き受けるためのアドバイスをください』と連絡します」 少年を引き受けるにあたり、それぞれの施設や過去の里親に連絡を取った野田さん。そこで2人目の里親から、こんな話を聞かされたそうだ。 「その里親さんは宗教家の方で、里親になることに自信を持っていたそうです。けど実際に引き取ってみたら、盗む、殴る、と散々で。最終的には『ちゃんとできなくてごめん。里親をなめていた』と泣いて彼を児相に戻し、それ以降は里親自体を辞めてしまった。でも、その里親さんを含めいろんな人が彼に関わってきて、彼の膿(うみ)を少しずつ吸ってきてくれたからこそ、僕たちが引き受けたときには少し落ち着いていたんだと思います」 野田さんはそれを、「支援の連続性」だと表現する。 「その子は知能が高い子だったから、やたらと勘が鋭かったんですね。彼の中で、『あんなことをしていたから引き受けてもらえなかったんだ。次は同じことをしないでおこう』と考えたんだと思います。だから僕たちのところに来たときには、窃盗癖だけは直っていた。支援者が失敗だと思っていても、長い目で見れば支援に貢献していることもあるかもしれない。だからこそ、若者たちと関わっていて傷つくことがあっても、丁寧に接しよう。僕たちが膿を吸うことで、次の支援につながるかもしれないから、と考えています」