「近鉄・オリックス球団合併」騒動から20年…選手会を勝たせた“主任裁判官”決断の「決め手」になったものとは
選手会もNPBも「正直」だった
まず「正直」基準ではどうか。この紛争は、労働者の労働三権と経営者の経営権の正面からの本音のぶつかり合いです。 選手側としては、2球団が1球団に統合されれば、1球団分の選手が大量解雇されることになります。これに対し、球団経営者側は、現行の2リーグ12球団から、もう一組の合併を成立させて、1リーグ10球団に縮小しようという方向で動いていました。 どちらかが嘘つきというわけではありません。したがって、双方が正直なので、1回の表と裏が終わって、1対1の同点です。
選手・ファンのため働く選手会の「誠実」と、顧みない経営者側の「不誠実」
次に「誠実」基準ではどうか。選手会は、「1リーグ化阻止」を掲げて野球ファンをはじめとする世論に訴えました。 選手会長の古田選手は、朝日新聞の「論壇」にも投稿して国民に支持を訴えました。彼は既に高年俸を得ている名選手で、普通の労働者とは言えないと経営側から攻撃されていました。 それでも、選手全体と野球ファンのために、我が身を犠牲にして先頭に立って闘っていました。非常に誠実で立派な振る舞いです。人として尊敬に値すると、それまでの推移を見守りながら、一人のプロ野球ファンとして思っていました。 これに対して、経営者は何と言ったか。読売ジャイアンツのオーナーの渡辺恒雄、人呼んで「ナベツネ」氏は、直接会って話し合いをしたいと求めていた古田会長に対し、「たかが選手が。馬鹿言っちゃいかんよ。」と暴言を吐いたのです。普段は選手たちに大儲けさせてもらっているにもかかわらず、鼻で笑って馬鹿にしたのです。 この失言で世論は憤激し、形勢は選手会側に大きく傾きました。2回が終わって、2対1と選手会のリードです。
交渉を退席し試合に出た古田選手会長の「勤勉」と、“江川事件の教訓”を忘れたNPBコミッショナーの「怠慢」
最後に「勤勉」基準ではどうか。これは決定後のエピソードになりますが、古田選手は、その後の交渉で、選手会長であるにもかかわらず途中で退席したことがありました。どこへ行ったかというと、球場へ直行し、代打として試合に途中出場したのです。両球団のファンの観衆から大喝采を浴びました。 プロ野球史に残る名シーンだと思いますが、プロ野球選手はこれほどまでに勤勉なのかと私は驚愕しました。 片や、NPB側はどうか。当時のコミッショナーは元検事総長でした。なぜ法律家が就任しているかというと、原因は1978年11月のプロ野球ドラフト会議の前日の事件、いわゆる「空白の一日」で有名な「江川事件」です。 この事件の処理に失敗して辞任した当時のコミッショナーが「後任者には法律家を」と言い残したのが、慣例化していたのです。 それにもかかわらず、検事総長上がりの会長は「私には権限がない」と言って、事態の解決のために何もしませんでした。「勤勉」基準では、逆に怠慢と言うほかありません。 したがって、この試合は、選手会を3対1で勝たせるのが正義に適う事件と思われました。私たちも、一審の決定理由を覆して、選手会の団体交渉権を明確に認める決定をしました。