老犬と暮らす(3)同じ名をつけ注ぐ愛情 亡くした愛犬の「供養」に
認知症を患った晩年
ブリーダーに酷使されたであろう先代さつきは、最初から家庭犬として幸せに暮らしていたわけではない。だから、人や他の犬に慣れるのに少し時間がかかった。と言っても、僕が蓼科に定住して出会った頃には、既に杉浦さんのもとに来て4年経っていたから、他人の僕にも触らせてくれるようになっていた。杉浦さんも当時、「最近は朝になると私の枕元に来て手でガリガリと『朝だよ、早く食事にしよう』と起こしに来ます。最初はよそよそしくぎこちない関係だったけれど、赤い糸ならぬオレンジの糸で結ばれていたんだなあとしみじみと思います」と語っていた。 杉浦さんに引き取られてから8年。推定12歳ということになるが、実際はもっと歳をとっていたかもしれない。昨年の暮れあたりから、衰えが顕著になっていた。白内障、歯が抜けたりといった数年前から見られていた老化に加え、認知症の傾向が強く出ていた。「散歩は家の周りを少し歩くくらい。前には進めてもバックができない。部屋の中ではぐるぐると回る。失禁もするようになった。16歳で亡くなったロックよりも、もしかしたら高齢だったのかもしれない」と杉浦さんは、先代さつきの晩年の様子を語る。 記録的な大雪の冬が終わり、ようやく遅い春の兆しが見え始めた4月のある日、さつきがいなくなった。いくつかの不運が重なり、目を離した隙に、家の前で姿を見失った。杉浦さんは夜中まであちこち探し回ったが、見つからなかった。僕はその日、東京に行っていて、翌日蓼科に帰ってきてから妻にその話を聞いた。 別荘地内には名もない渓流が流れていて、杉浦さん宅前を通って下流で本流に合流する。「認知症のさつきがそう遠くに行くはずはない」と、杉浦さんは川に落ちた可能性が高いと思い始めていた。「どんどん流れて行って、(ずっと川下の)諏訪湖あたりに沈んで自然に還るのか……そんなふうにあきらめかけていました」と、杉浦さんは当時の心境を振り返る。 一方、僕はというと、さつきのことが気になってはいたが、どういうわけか、行方不明になった2日後に今シーズン初めて別荘地内の渓流へ釣りに行った。この川ではイワナやヤマメが釣れるのだが、春先の釣果はあまり期待できない。水温が上がって水量も増える梅雨明けでないと、まず大物は出ないというマイナーな川なのだ。だから、さつきがいなくなったという大変な時期に、なぜ釣れないのを承知で川に向かったのか、自分でもよく分からない。今思えば「もしや」という気持ちが片隅にあったのかもしれないけれど、杉浦さんが「川に落ちたのではないか」と思っていたというのは、後から聞いたことだ。