“1000年前の建物”パズルにして販売「無断使用」と訴えた寺院の主張は“無理筋”? 裁判の意外な結末とは
不可解な主張の連続でパズル業界と対決!
平等院も、さすがにストレートに著作権を主張したわけではないが、それでも報道に表れた平等院の主張には不可解さが目立つ。 例えば、『朝日新聞』の取材に対し、平等院の担当者は「たくさん人が来るなかで危なくないようルールを設けている。ルールを守ってくれている人に申し訳ない」と答えている*1。やのまんのパズルによって、来観者にどんな危険が及び、何がどう申し訳ないというのだろうか。意味が分からない。 別の記事では、平等院の代理人弁護士が「大切に守ってきた鳳凰堂がパズルでバラバラにされるのは耐えがたいという宗教的な感情を理解してほしい」と述べている*2。これはもう、パズルという文化を真っ向から否定するもので、業界を敵に回す発言だ。 パズルとは、被写体をバラバラに解体することを目的とした遊びではない。その逆である。絵画やアニメなどを用いたパズルは多数存在するが、「バラバラにされるから傷つく」なんて話は聞いたことがない。それに、いかに宗教施設とはいえ、鳳凰堂は後生大事に秘匿されているわけでもなく、一般に公開された観光施設である。平等院の取って付けた「被害感情」よりも、何の権利もない、公に供された1000年前の建築物をパズルにする経済活動の自由の方がよっぽど保護に値する。 *1 「朝日新聞デジタル」2019年4月24日「『鳳凰堂の写真、勝手にパズルに』平等院が玩具会社提訴」 *2 『朝日新聞』2019年8月14日「平等院鳳凰堂、パズルの販売ダメなの?」
勝手な禁止事項に反したら違法なのか?
平等院の裁判上の主張は、主に以下の点に集約されるようだ。 平等院は、パンフレットなどにおいて境内で撮影した写真の営利目的使用を禁じる旨を書いている。この禁止事項にやのまんが違反したことで、「鳳凰堂を玩具として営利目的に使用することを安易に許諾したという印象を持たれ、平等院の社会的評価を低下させた」ということである。 確かに、平等院のパンフレットには「院内で撮影した写真などを営利的な目的で使用することは禁止いたします」と書いてある。しかし、パンフレットに「禁止」と書いたからといって、それに反したら直ちに違法、という道理は存在しない。 パンフレットなどもらわなくても(読まなくても)境内には入れるため、そもそも禁止事項への同意が存在しない。「禁煙」や「飲食禁止」など、敷地内における禁止行為に関しては、土地や施設の所有者の権利として、「守らないなら出ていけ」と言える場合はある。だが、そこで撮った写真の営利目的使用のように、施設外における他人の行動を制限する効力まではない。 要するに、単にパンフレットの禁止事項に反したと主張するだけでは平等院に勝ち目はない。そこで彼らは、禁止事項に反し商品化されたことで、「鳳凰堂を玩具として営利目的に使用することを安易に許諾したという印象を持たれ、平等院の社会的評価を低下させた」という理屈をひねり出したのだろう。