元日本代表・渡邉知晃は、なぜ大学フットサル部の監督を選んだのか?全Fリーガーに読んでほしいセカンドキャリア論【インタビュー】
現役時代から「時間をもっと有効活用できた」
──引退後のキャリアを考えて大学院への進学を考えたのはいつですか? 大学院に入ると決めたのは、入学の前の年(2018年)です。年を重ねて引退が視野に入ってきた時に、その先のキャリアで“これをしよう”というものがありませんでした。ただ、もともと教育にも興味がありましたし、教育者になることやフットサルも教えられる大学の監督は選択肢の一つになると思っていたので、大学院に通うことを決めました。 ──Fリーグで戦いながら大学院に通うのは大変じゃないですか? 簡単ではないですね。単位が必要なので授業にも出ないといけないですし、その上で論文も書かなければならなかったので、それなりに大変でした。 ──それでも、引退後のキャリアを考えて選手の頃から動くべき? 2つの考え方があると思います。一つは選手の時は結果を残すことに100%の時間を使うべきという考え方。もう一つが、次のステップも視野に入れながら選手活動をやるという考え方。人によって考え方は違いますし、どちらが正解ということはないと思いますが、僕は後者でした。選手の頃から先を見据えていくタイプであり、選手時代から行動してきたほうだと思われている僕も、無駄な時間の使い方をしたなと感じていることもあります。 ──現役時代の過ごし方に後悔もあるんですね。 もっと時間を大事にできたはずだな、と。特に、名古屋オーシャンズにいた頃ですね。最後、立川・府中アスレティックFCにいた時は年も重ねていたので、自然と引退後のキャリアを考えていましたが、名古屋の頃は25歳から29歳くらいで、代表にも選んでもらっていたので、次のキャリアまではイメージできていませんでした。自分の引退後について深く考えていなかったので、フリーの時間をダラダラと使ってしまった。もっと時間を有効活用してやれることがありましたね。 ──名古屋であればプロの環境ですし、結果を残すことだけに100%の時間を使う選手が大半だったと思います。そうした選手はどのような時間の使い方をしていたのですか? プロ選手は休むことも仕事ですからね。休息に充てたり、自主トレで体を動かしたり。また名古屋はトレーナーが朝から晩までアリーナにいたので、午後の練習がなくてもケアをお願いできました。チーム専用のジムで筋トレもできますし、ピッチも空いていれば自主練ができる。ほとんどの選手がゆっくり休んでいるか、ケアか、自主トレをするかでしたね。自分の体のために料理をする選手もいましたし、自分のパフォーマンスのために時間を使っていました。 ──それでも、渡邉さんはもっと有効活用できたと感じている、と。 僕は、「休息」と「ダラダラ」は紙一重だと思っています。結局、休息の時間でテレビを見たり、携帯をいじったり、目的もなく出かけてお茶をして、ご飯を食べて帰ってくるという過ごし方もしていました。今の考え方で25歳に戻ったら、休息しつつ、もっと勉強したり、資格を取ったり、将来に向けた時間の使い方ができたと思いますし、振り返ってみると、そうしたかったな、と。 ──空いている時間をどう使うかは、現在のFリーガーにも参考になると思います。選手はどんな考え方で日々を過ごすべきでしょうか? スポーツ選手はチームに求められなくなったら終わりなので、いつ引退することになるかが不確定な職業だと思います。とは言え自分もそうでしたが、一番体が動く20代の前半から中盤に引退後をイメージできないからこそ、行動を起こしにくい部分はあると思います。なので、深く考えすぎるのではなく、まずは自分の興味があることを空いている時間にやってみるといいのではないでしょうか。 その簡単な方法が読書ですね。興味がある人や分野の本を読むことがいいですね。他にも、手始めにやれることをやってみるのもいいと思います。誰しもが引退する時は訪れますから、それに備えたアクションを起こしてマイナスになることはなにもないはずです。 もちろん、仕事をしながらプレーをしている選手であれば、今の仕事を一生懸命やることが将来につながってくると思います。 ──現役選手に伝えたいことはありますか? 僕自身、現役選手のうちから大学院に通って準備してきたことが、今回の監督就任という自分のやりたかったことにつながりました。現在、現役で戦っている選手たちは、フットサルに全力で取り組むことは大前提で、さらに先のことを見据えながらチャレンジしてもらいたいですね。いつか必ずチャンスがくると思うので、ぜひ若いうちから自分の可能性や、その先のキャリアを広げるためにもトライしてほしいです。 ──渡邉さんも実際、引退後はめちゃくちゃいろんなことをしていますよね? スクールや海外遠征のアテンドなど、今は全部で6つくらいやっています。個人事業主だからこそ、常に新しいことをやっていかないとなにかが終わった時になにもなくなってしまうという怖さがあります。現代は、今までやってきた仕事がいきなりなくなったり、1年後になくなったりすることもありますから、新しいことを始めて、なにかがなくなっても大丈夫という状況にしておきたいとも考えてきました。 ただし、一つのものを極めて誰にも負けない強みにするという選択肢もありますし、そこの難しさは引退してからの3年で感じています。くらしき作陽大学での活動をメインにして腰を据えるのは、僕自身新しい段階にきたと考えています。 ──一つのことに注力する時期にきた、と。 そうですね。選手時代の時のように、一つのことをガッとやるフェーズに入ったと思っていますし、引退後の3年間の経験が必ずプラスに働くと思っています。 ──最後に、今後の目標を教えてください。 大学のフットサル部としては、大学日本一になることが目標です。ただし、それを達成することだけが目標ではありません。自分がプレーしてきた経験を伝え、Fリーグや日本代表で活躍する選手を多く輩出したいとも考えています。 それと、全国的に強豪校とされる作陽学園高校が同じ法人なので、高校から大学までの7年をかけてフットサルを教えることができたら、いい選手を育てられるんじゃないかな、と。どんな選手であればトップリーグで活躍できるかは僕自身わかっているつもりですし、今後は「作陽学園出身の選手はすごい点を取る」とか、「見ていておもしろい」と思ってもらえるような選手を育成していくことが大きな目標です。