地震でビル下敷き、妻と長女を亡くした居酒屋店主が、かつて家族で暮らした川崎で再開する「わじまんま」 思い出の腕時計と共に「いつか輪島へ戻る」
「復興するその日まで、ここで店を続けたい」。2024年1月1日に起きた能登半島地震で、石川県輪島市の居酒屋「わじまんま」の店主楠健二さん(56)は、倒壊したビルの下敷きになった妻由香利さん(48)と長女珠蘭さん(19)を失った。地震後は、かつて家族で暮らしていた川崎市で生活する。悲しみが癒えることはないが、いつかまた輪島で店を開くことを夢に、この場所で6月10日、店を再開した。6年前、移り住んだ輪島で開業したのと同じ日だ。(共同通信=乾真規) 【写真】まるで生まれ変わりのように亡き母にそっくりだった。〝ひとりぼっち〟から、見つかった「自分の居場所」 能登の被災者に伝えたい「大丈夫」
▽衝撃、気絶、後悔 地震が起きたとき、家族は店の上にある三階の自宅でだんらんしていた。1回目の揺れに驚き、外へ避難するため着替えていたとき、2度目の強い揺れが襲った。楠さんは背中に強い衝撃を感じ、そのまま気絶した。 飼い犬の鳴き声で目を覚まし、見渡すと店は隣のビルの下敷きになっていた。何が起きたのか初め理解できなかったが、われに返って家族を探し、近くにいた次男(21)と次女(18)をがれきの下から引っ張り出した。大きなけがもなく歩くことができた。 由香利さんと珠蘭さんががれきに挟まれていた。「痛い」「パパ水ちょうだい」。目の前で珠蘭さんが叫ぶ中、何度も水をあげた。珠蘭さんは2日目の夜になって地元消防団に救出され、「娘だけは助かった」と安心したが、出てきたときには亡くなっていた。由香利さんは圧迫死、珠蘭さんは低体温症だった。 「少なくとも長女はまだ生きていたんだよ」。自分にもっとできたことがあるのでは。今でも悔やんでいる。
▽倒壊現場で見つけた腕時計は、妻からの誕生日プレゼント 「今でも昨日が1月1日のよう」。心の整理がつかなかった楠さんは1月下旬~2月にかけて、倒壊現場で思い出の品を捜し始めた。昨年の誕生日に由香利さんからプレゼントされた腕時計と家族の思い出の写真が詰まったスマートフォンをどうしても見つけたかった。 初めは一人、がれきの山を前に途方に暮れたが、途中から災害ボランティア団体「コミサポひろしま」のメンバーも加わった。がれきの山のそばには輪島塗のおわんに盛られたカビの生えたお雑煮がそのままで、見るたび心苦しかった。 「あっ、あった!」。2月7日、大粒の雨が降る中で楠さんが時計を掲げると、周囲から歓声が上がった。銀色のベルトと青い文字盤は無傷だった。「1人でめげることもあったけど、多くの人が協力してくれて捜さなきゃという気持ちが湧いた」 地震が起きる前の昨年4月4日、楠さんの誕生日。近くの居酒屋で由香利さんが、よく時間に遅れる楠さんに、「ちゃんとしてね」との言葉とともにサプライズで渡してくれたものだった。「怒られるのは毎日だったけれど、それも楽しかった。いなくなって余計に寂しい」。また、涙があふれた。