地震でビル下敷き、妻と長女を亡くした居酒屋店主が、かつて家族で暮らした川崎で再開する「わじまんま」 思い出の腕時計と共に「いつか輪島へ戻る」
初めは地域になじめず、涙する日もあったが、明るい2人の人柄が少しずつ受け入れられ、地元民にも愛される店になった。 2022年、楠さんに腎臓がんが見つかった。入院時、「もう会えないかも」と落ち込んだが、由香利さんは「大丈夫」と励ましてくれた。手術は無事成功。宴会続きで多忙な店を切り盛りしてくれた。常に自分のことは後回しで、人のことを考えて動いていた。 「夫婦だから成り立ってきた。今は一人だから不安しかないよ」。亡くなったばかりの頃、次男は「ママのご飯じゃないと食べない」と母親の死を理解できていない様子だったという。 ▽祝うはずだった二十歳の誕生日 3番目に生まれたのが珠蘭さん。初めての女の子で、目に入れても痛くないほどかわいかった。居酒屋の仕事で帰りが日をまたいでも起きて待っていて、家に入ると飛びついてよじ登ってきた。 家族が輪島へ移住する時、珠蘭さんだけは川崎に残り、祖母と暮らした。迷ったが、自分で決断したことだった。「つらい選択をさせてしまったけど、寂しいそぶりは見せなかった」。休みのたびに川崎から輪島へ飛行機で遊びに来た。
次男の世話をするため、看護師を目指していた。両親がいつか高齢で世話をできなくなったときを案じ、「施設に入れるなら、私がそこで働くから」と話していた。正月明けに実習が始まる予定だった。倒壊したビルのがれきからも使い古された看護学校の資料がたくさん見つかった。 昨年秋に写真館で成人式の前撮りをした時、感謝の手紙を渡された。「今まで育ててくれてありがとう」。夫婦で涙を流した。地震が起きた4日後の1月5日は珠蘭さんの誕生日。家族で二十歳を祝うはずだった。 ▽遺志 次女(18)は春から神奈川県内にある、珠蘭さんと同じ看護学校に通い始めた。仲の良い姉妹で、いつも2人で遊びに出かけていた。「パパが死んだら、私が面倒を見るから心配しないで」。将来は次男の世話をするつもりで、姉の遺志を継ぎ、日々勉強に励んでいる。 5月中旬、昔夫婦おそろいで履いていた赤と白のスニーカーを人生初のアルバイト代でプレゼントしてくれた。 「これ、次女が買ってくれたんだよ」。楠さんはもらった数日後、輪島市内で友人らと久々に食事をした際、うれしくて周りに見せて回った。トイレから帰ってきたときに間違えてスリッパを履いて戻ってきたことに気づき、みんなで大笑いした。
川崎での店再開は、6年前に輪島で店をオープンしたのと同じ日に決めた。店名は変わらず「わじまんま」。午後5時半の開店後には、並んでいた客が次々と入店し、カウンターが埋まった。 悲しみは癒えないが「妻と一緒に店を開いた輪島へまた戻りたい」と前を向く。今もそばでは、思い出の腕時計が時を刻み続けている。