地震でビル下敷き、妻と長女を亡くした居酒屋店主が、かつて家族で暮らした川崎で再開する「わじまんま」 思い出の腕時計と共に「いつか輪島へ戻る」
捜索を続け、2月9日には珠蘭さんのスマートフォンも見つかった。ずっと時間が止まったような感覚で過ごしていたが「遺品を見つけたことで、やっと前向きになれた」という。 ▽川崎の街並み その後、輪島に移住する2018年まで家族で暮らしていた川崎に戻り、「残された子どものため」と店の再開に向け動き出した。新しい店は京急川崎駅近くのビルの地下1階。魚などの食材は能登から配送で取り寄せ、能登半島の地酒「白菊」や「能登ちょんがりぶし」などをそろえる。店内には輪島から持ち帰った、能登の祭りで使う灯籠「キリコ」が飾られ、「関東に住む輪島出身の人の憩いの場になれば」と思いを巡らせる。 再び時が回り始めたが、心の整理はつかないまま。夜布団に入ると、いつも横にいたはずの妻がいないことを実感し、今も眠れない日が続く。 川崎の街並みは思い出が多く、歩くたび胸が苦しい。「なぜ自分でなくて、この2人が死んだのか」。見つけたスマートフォンの写真は怖くてまだ見ることができない。
「この店には2人の面影がないから、気持ちが落ち着く」。自宅には仏壇や思い出の品がある。逃れるように早朝から夜遅くまで店にこもり、開店準備にいそしんだ。 ▽居酒屋が好きな2人「夫婦だから成り立ってきた」 夫婦の出会いは約30年前。由香利さんは当時楠さんが勤めていた居酒屋のアルバイト従業員だった。「自分のだらしないところをいつも正してくれるんだよ」。自然に付き合うようになり、程なくして結婚。2男2女に恵まれた。 長男(27)の出産を機に仕事を辞めた由香利さんだったが、夫婦そろって居酒屋が好きで、働きたい気持ちは募った。10年ほど前に川崎で店をオープン。夫婦で店に立ち、常連客に囲まれた。客と酒を飲みながら下らない話をするのが好きだった。 移住を提案したのは、輪島に近い石川県七尾市出身の由香利さんだった。次男は脳に障害があり、将来、3人で都会を離れてのんびり暮らすためだった。毎年、家族で輪島のキャンプ場で過ごすのが一家の恒例行事だったが、まさか住むことになるとは思わなかった。