この身体は誰のものなのか…日本の哲学者が苦悩した「西洋と東洋の本質的な違い」
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。
「共通感覚」とは何か
私たちは視覚は視覚、聴覚は聴覚、嗅覚は嗅覚というように、それぞれ独立した感覚であると考えるが、古代ギリシアのアリストテレスはそれらの基層に、共通の感覚能力、つまり「共通感覚(コイネ・アイステーシス)」があると考えた。それによって私たちは砂糖の「白さ」と「甘さ」とを別の感覚として感じ分けることができるし、感覚作用そのものを感じとることもできると考えたのである。 このアリストテレスの「共通感覚」には、戦前にも中井正一や西田幾多郎、西谷啓治らが関心を寄せていたが、戦後とくにそれに注目した人に中村雄二郎がいる。 中村はアリストテレスの「共通感覚」についての理解を踏まえながら、『共通感覚論──知の組みかえのために』(一九七九年)などにおいて独自の思索を展開した。そこには、「知の組みかえのために」という副題が示すように、「理性と論理」によって支えられていた従来の知を「共通感覚と言語」によって組みかえようという意図が込められていた。 中村が「共通感覚」をその思索の軸に据えるに至った一つのきっかけは、木村敏の、さらには木村と交流のあったドイツの精神病理学者ブランケンブルク(Wolfgang Blankenburg, 1928-2002)の精神病理学の立場からの「共通感覚」への注目であった。木村は一九七六年に発表した「離人症」と題した論文において、離人症の患者にとって「世界」が単なる「感官刺激の束」として、言いかえれば「感覚表面に突きささってくるカオス」として受けとられる原因を、人間と世界との根源的な通路づけを可能にする統合的な感受能力である「共通感覚」が十全に機能していないことに求めた。