この身体は誰のものなのか…日本の哲学者が苦悩した「西洋と東洋の本質的な違い」
「基底的構造」を見つめる
感覚や感情、知性といった、世界に対する人間の関与の仕方、さまざまなはたらきの根底に、言わばそれらを統合する感受能力が機能しているという木村の発想を踏まえて、中村もまた「共通感覚」に注目したのである。それは、近代における感覚の理解、つまり視覚を他のすべての感覚を統合するものとして位置づける感覚理解の見なおしにもつながっている。 このような近代において支配的であった視覚中心の感覚理解に対して、中村は諸感覚のもっとも基礎的な統合を、むしろ「体性感覚」的な統合としてとらえている。体性感覚とは触覚や痛覚などの皮膚感覚と、筋肉の動きなどを感知する深部感覚とを指すが、そのような感覚こそが他の諸感覚を統合し、活動する身体を支えるとともに、他の人間や自然との関わりを可能にする「地平」を切り開くと中村は考えたのである。 それとともに中村は「共通感覚」を、「身体を基礎として身体的なもの、感覚的なもの、イメージ的なものを含みつつ、それをことば=理のうちに統合する」ものとしてとらえることによって、従来の言語理解の見なおしをも試みている。中村の「共通感覚」論は、分析的な理性の論理を、そこにおいて排除されたイメージ的、身体的なものを回復した言語によって乗りこえようとする試みでもあったと言うことができる。 西洋的な、あるいは近代的な知においては、言うまでもなく、客観的な知、つまり厳密な観察に基づき、言語によって明確に表現される知が重視されてきた。科学技術は、そのような知を重視するものの見方の上に築かれた。それに対して東洋の知の伝統のなかでは、むしろ非言語的、非対象的な知が問題にされてきた。そのような観点から湯浅泰雄は、東洋の知に、とりわけその身体論に注目した。 湯浅の代表的な著作の一つである『身体──東洋的身心論の試み』(一九七七年)によれば、身体、そして身心の関係は二重の構造をもつ。一方には、大脳皮質を中枢とするいわゆる感覚―運動回路と、それと機能的に結びついた外界知覚と運動感覚、そして思考作用からなる「意識」の領域がある。それに対して他方には、自律神経系に支配される内臓諸器官と、それに機能的に結びついている情動および内臓感覚がある。湯浅は前者を「身心関係の表層的構造」と呼び、後者を「身心関係の基底的構造」と呼んでいる。基底的構造の一部は、感情という形で、意識の領域に現れているが、しかしその大部分は「無意識」の領域に属している。それは通常はその姿を現さないが、たとえば夢や催眠状態において、あるいは神経症、精神病において顕在化することがある(市川浩の言う「錯綜体」と同じものが考えられていると言ってよいであろう)。このような理解を前提にした上で、湯浅は西洋の身心論がたいていの場合「表層的構造」にのみ目を向け、「基底的構造」に対して十分な注意を払わなかったのに対し、東洋の身心論では、むしろ「基底的構造」の方に重点が置かれてきたと主張する。東洋の身体論ないし身心関係論について論じるためには、この身心関係の二重構造、とくにその「基底的構造」に注目する必要があるというのである。