この身体は誰のものなのか…日本の哲学者が苦悩した「西洋と東洋の本質的な違い」
東洋思想の特徴
たとえば東洋の伝統的な宗教においては修行の一つの方法として「瞑想」が重視される。私たちの通常の生活のなかでは大脳皮質およびその機能と結びついた意識活動(身心関係の表層レベルでのはたらき)が中心的な役割を果たしているが、瞑想はそのはたらきをむしろ低下させ、逆に、基層にある身心のはたらきを活発化させようとするものだと考えられる。そのことによって、無意識領域に沈んでいる根本的な情念や情動を表面化させ、解放し、解消すること、そして自己の身心をコントロールすることがめざされている。湯浅によれば、それは、心理療法などでセラピストが用いる治療法にも通じるところがあるが、しかしそれと同じではない。治療では病気の状態から健康状態への復帰がめざされるが、それに対して瞑想においては、情動や情念に動かされる日常のあり方を離れて、その彼方にある本来的自己(仏教であれば「三昧」(samadhi)ということばで表現されるあり方)へと至ることがめざされる。 湯浅は、東洋思想と西洋の哲学とを比較したときに、前者に見いだされる特質をまさにこの瞑想を含む「修行」のなかに見いだしている。つまり東洋思想の独特の性格は、知を、単に対象の分析から理論的に知られるものとしてではなく、自己の身心全体による「体得」ないし「体認」を通して把握されるものとしてとらえる点にあると考える。そのような観点から湯浅は「修行」を、「自己の身心の全体によって真の知を体得しようとする実践的試み」と定義している。 西洋の哲学においてはたいていの場合、身体や欲望、感情などは知から排除されてきたが、東洋の伝統思想の根底には、事柄の真相は知だけでとらえることはできず、むしろ身心全体によってはじめて把握されるという考え方があった。しかも、そのことを単に知るだけでなく、実際に「修行」を通して自分自身のものにすることがめざされてきたと言ってよいであろう。そこに東洋思想の大きな特徴を見いだすことができる。 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
藤田 正勝