【橘玲『DD論』インタビュー第1回】日本のリベラルは「民族主義の変種」? 善悪二元論はもう限界
ベストセラー『言ってはいけない』(新潮新書)から8年、常に論争的なテーマを取り上げ、エビデンスベースの"不都合な事実(ファクト)"を紹介しながら現代社会のタブーに切り込んできた橘玲氏。8月26日に発売された最新刊『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)の目次には、 【写真】「善悪二元論」が世界を混乱させている ・国際社会の「正義」が戦争を泥沼化させる ・日本のリベラルは民族主義の一変種 ・「下級国民」のテロリズムはますます増えていく ・女性が活躍する「残酷な未来」 ・SNSはみんなが望んだ「地獄」 ......など、一瞬ぎょっとするような言葉が並ぶ。 近年メディアを賑わせた事件や政治・経済の構造問題、社会の分断など、さまざまな「正義と正義の衝突」を「DD(どっちもどっち)派」の視点から論じた著者・橘玲氏の真意に迫る連続インタビュー、第1回のテーマは「なぜ今、『DD(どっちもどっち)論』が必要なのか」。 * * * ――この本の大きなテーマのひとつは、日本でも欧米でも「リベラル」が今、壁にぶつかっているということですね。 橘 本書ではいろいろな社会問題や時事的な事象について書いていますが、考え方の根幹は「すべての問題が善悪二元論でできているわけではない」ということです。これはリベラル派に限った話ではなく、基本的に人間の発想というのは、何か不都合なことが起きたら、まず「悪」を探して、その悪を叩き潰せばより良い結果が生まれると考えますよね。 この善悪二元論的な思考がデフォルトになった理由を進化的な側面からひも解いてみると、脳という臓器は大量のエネルギーを消費するので、なるべく省エネするために、直感的な思考に快感をおぼえるようになったからだと考えられます。とはいえ、現代社会の複雑な問題をその直感的な思考で解決できるかどうかは、まったくの別問題です。 ――確かに、それで解決できるのは単純な問題だけです。 橘 17世紀から18世紀にかけてヨーロッパの啓蒙主義者たちは、王侯貴族と宗教者が支配する身分制社会から、民主的な市民社会への移行を目指しました。近代の成立によって、論理的に考えればほとんどの人が同意できること――奴隷制は廃止すべきで、女性にも男性と同等の人権がある、といったことが一つひとつ実現されていきます。 このようにして、解決できる問題はすでにかなりの部分が解決された結果、現在も残っている「問題」のほとんどには、多かれ少なかれ、解決できない理由があります。イスラエルとパレスチナの問題が典型ですが、集団同士の利害が真っ向からぶつかって、単純な善悪二元論には還元できません。 これが「DD(どっちもどっち)」ですが、シンプルな善と悪の物語に比べて認知的な負担が大きく、心理的にはきわめて不愉快です。 ――しかし、「正しい政治、正しい社会が実現すれば世の中はもっと良くなる」と考える人たちにとっては、このことを受け入れるのは簡単ではなさそうです。