【橘玲『DD論』インタビュー第1回】日本のリベラルは「民族主義の変種」? 善悪二元論はもう限界
橘 欧米というか、とりわけアメリカ人がここから抜け出せないのは、やはり第2次世界大戦の影響が大きいでしょう。自由とデモクラシー(民主政)を掲げてドイツや日本のファシズムを打ち破ったという勧善懲悪の物語に、今もものすごく拘束されているように見えます。 しかし、そうした美しい善悪二元論が成立したのは、1960年代のヒッピーカルチャーの前くらいまでです。ベトナム戦争という、アメリカが絶対的な善とはいえない戦争を体験したことによって価値観が揺らぎ、徐々に「DD」化してきました。 それでも東西冷戦期はソ連を悪と位置付け、大きな善悪二元論がなんとか成立していましたが、冷戦終結でそれも難しくなった。その後に生まれた美しい善と悪の物語といえば、凄惨な殺し合いを引き起こすことなくアパルトヘイトを廃止し、デモクラシー国家に変えたネルソン・マンデラの時代の南アフリカくらいではないでしょうか。 ひとつの例として、現代の国際社会を舞台にクライムノベルを書こうとするとき、「悪」をどう設定するかがものすごく難しくなりました。冷戦時代ならソ連のスパイを登場させればよかったでしょうが、今は特定の国家や民族、宗教を「悪」として否定的に描くことは許されません。本書でも書きましたが、こうした時代の変化は『スター・ウォーズ』シリーズにおけるヒーローと悪の設定にも見て取れます。 ――『DD(どっちもどっち)論』では、ウクライナとロシア、イスラエルとハマスという現在進行形のふたつの戦争について、「善悪二元論」と「DD」の対比の観点から書かれています。 橘 大前提として、ウクライナの領土に軍事力で全面侵攻したロシアの行動が「悪」であることは間違いありません。しかし、ウクライナが自国の軍事力でこれを撃退できず、欧米もロシアの核兵器使用のリスクを恐れて支援に制限をつけている。そうなると、最終的には停戦の条件を交渉で決めるしかありません。 善悪二元論でこの問題を解決しようとすると、ロシアが自らを「悪」と認めて全面的に謝罪し、賠償に応じないかぎり、交渉になりようがないわけですが、現実問題としてそれは無理でしょう。ならば、どこかで「DD」的な落としどころを探るしかなく、ロシア側の事情にもある程度配慮せざるを得ません。ロシアにはロシアの事情がある、などと言ったらSNSでたちまち炎上しそうですが。 ――いっぽうで日本の「リベラル」については、この本では「民族主義の一変種」であるという厳しい指摘をされています。