築69年「大阪でいちばん異形のビル」がついに解体へ…ビルも“住民”もエキセントリックな「味園ビル」が濃厚すぎた
1950年代に商業ビルとして建設された大阪・ミナミのシンボル「味園(みその)ビル」。“日本最大のキャバレー”とよばれ、専属歌手として和田アキ子がマイクを握った「ユニバース」などが店を構えた。同ビルは年内で各テナントの営業が終了し、来年5月をもってビルも取り壊されることになった。 【画像】まるで“異空間”個性的なバーが立ち並ぶ「味園ビル2階」をみる 豪奢ならせん階段と鯉が泳ぐ池、独特な飲食店が並ぶ2階の“異空間”など、もうすぐ見納めとなる「味園ビル」をリポートする。 ◆◆◆ 大阪の友人に連れられ、千日前のレジャー施設「味園ビル」に初めて足を運んだのはもうかなり前のことだ。 しかし、そのとき受けた衝撃の大きさは、いまでもはっきりと記憶に残っている。
エントランスには、鯉が泳ぐ池を囲むように...
まず、エントランスからして非常に特徴的だ。鯉が泳ぐ中央の池を囲むように、らせん状の“ゴージャスな”スロープが続いているのである(先導してくれた友人が、なんのためらいもなく自転車を押してそこを上がっていったことにも驚かされた)。 そして、その先に現れる2階の廊下には、サブカル臭満点の飲み屋が並んでいたのだった。それぞれの店が強烈すぎる個性を放っているものだから、とってつけたような“調和”は存在しない。 にもかかわらず、フロア全体がひとつの作品のようでもあった。訪れたことのある方なら共感していただけると思うが、ここまで個性的な場所はそうそうないだろう。 ビルが建てられたのは1955年で、80年代のバブル期には大阪・ミナミを代表するレジャースポットとして活況を呈した。当時は地下1階にキャバレー「ユニバース」があり、3階にはマッサージルーム、4階にホテルとサウナ、5階には宴会場もあったらしい。まさに娯楽の殿堂だったわけだ(ちなみに数年前、ホテルに泊まろうと思って電話してみたところ、ちょうど閉業直後だったようで残念に思ったものだ)。 バブル崩壊以降の90年代には2階テナントの大半が空き物件という状況に追い込まれるが、00年代にテナント料が大幅に下げられると、「お金はないけどやる気はある」若いオーナーが集中。その結果、とってつけたような“昭和レトロ”などとは格が違う超絶エキセントリックな空間ができあがったわけだ。 だからこそ、2024年末で2階テナントが終了するという5月の報道にはショックを受けざるを得なかった。事情を伺いたいと思って管理会社に連絡してみたものの、「決まっているのは、2階テナントの定期賃貸借契約が2024年12月で満了を迎えるという一点のみ」だとの答え。 きちんと返答をいただけたことには感謝するが、それでもモヤモヤした思いは残ってしまった。 「だったら実際に行って、テナントの方々に話を聞いてみるしかないっしょ」ってなわけで、実際に足を運んで、お店の方に直接話を聞いてみようと思い立ったのは数ヶ月前のことである。 で、いざ大阪へ。