菅田将暉 × 黒沢清 映画「Cloud クラウド」が描く「普通の人がギリギリに追い込まれる現代社会」
――普通の人たちが追い詰められて殺し合いを始める。そういった状況が、閉塞した現代社会を表現しているようにも思えました。そこでインターネットが重要な役割を果たしていて、相手の顔が見えない中で、インターネットで悪意や憎悪が広がっていくのも現代的ですね。
黒沢:確かにそうですが、「インターネットが全ての原因」という物語にはせず、インターネットは現代社会のありふれたものとして使わせていただきました。きっかけはインターネットですが、一番の問題は普通に生きてきた人たちが、気がついたら「殺す」「殺される」みたいな状況になるギリギリのところにいた、ということなんです。いろんなところでいろんな人が、実は崖っぷちギリギリまでいってしまっている、というのが今の社会なのかな、と思いますね。それがテーマではなかったのですが、結果的にこの映画は現代社会を描いたものにもなっていると思います。
――確かに今の社会は、貧困だったり人間関係だったり、いろんな理由で「普通の人たち」の多くが精神的に追い詰められている気がします。
黒沢:その原因がどこにあるのか分からないから、より追い詰められるんですよね。原因が何か分かっていれば、そこから距離が取れるんですけど、原因が分からないまま崖っぷちにいる人が多いんじゃないでしょうか。
――吉井も工場で働きながら転売をやって、ギリギリ感がありますよね。そして、「普通の人たち」の1人だった吉井も、極限状態に立たされて最後に大きな決断を迫られる。
菅田:良くも悪くも、最初は不特定多数のうちの1人だった吉井が、最後に何者かになってしまうような瞬間がある。もう引き返せないところまで来てしまう。多分、銃撃戦の前までなら、吉井は引き返せるところにいたんです。死を前にした時に人間性って出るじゃないですか。そういうギリギリの人たちの描き方も、この映画の特徴だと思います。
黒沢:ここまで特別な経験をした吉井は何かの強さを持ったかもしれない。もしかしたら、この後、吉井は世の中をひっくり返すようなことをするかもしれない、と観客が想像してくれたらいいなあと思ったりもしているんですよね。それは希望と言えるものではないのですが、そう感じてもらうことで観客が普通のアクション映画とは全然違う爽快感を味わってくれたらいいな、と密かに期待しています。