「命に別条はない」の本当の意味、わかりますか--意識はある?ない?ニュースでよく聞く言葉の裏側
なお著者は警視庁担当をしていたころ、赤坂警察署に呼び出され、取り調べを受けたことがあるという。詳細は省くが、そのとき目にした取調室の机には、アルミ製の灰皿だけしか置かれていなかったらしい。 取り調べはたいてい刑事2人一組で行われる。殺人事件の場合だと、1人が脅し役(厳しく追及する役)、もう1人がなだめ役に回ることが多いというが、これは一般にも知られていることかもしれない。 なお、赤坂署では6時間の間にお茶は出されましたが、カツ丼は出ませんでした。警察ドラマの至宝『太陽にほえろ!』で下川辰平さん演じる長さんが、容疑者に「カツ丼でも食うか」というシーンが再三放映されたため、取調室といえば、カツ丼というイメージが私もあります。
食べたいときは、自腹です。刑事のポケットマネーで買い与えると、のちのち公判で「自供欲しさに利益供与したものだ」と、自白調書の任意性までが疑われてしまうからです。(75ページより) 取調室で振る舞われるカツ丼は不思議とおいしそうに見えたものだが、実際には「おいしいなあ」と割り切れるものではなさそうだ(これもまた、当たり前すぎる話だが)。 ところで、事件や事故に関するニュースにおいてはしばしば、被害者の安否に関して「命に別状はない」「意識はある」などとされることがある。だがこれらも、どういう状態を指すのかはあまり知られていない。
命に別状はないというのは、傷があったとしても急所を外れていたり、かすり傷だったりして、その後もまず容体は変わらないだろうという場合によく使われます。 一方の「意識はある」は、現場に駆けつけた救急隊員や警察官の問いかけに対して答えることができている状態と考えられます。つまり、ごくまれですが、搬送されたあとで容体が急変する可能性が残っているということです。(97ページより) はっきりとした定義があるわけではないものの、著者が事件原稿を書く際には、こうした意識で使い分けをしていたという。それは周囲の記者もまた同じだったようだ。