石破茂氏は玉木雄一郎に「総理就任」を依頼せよ…「大敗」した今だからこそ望むもの
改めて問う。なぜ自民党は彼を選んだか
自民党総裁選を経て、衆議院総選挙が終わった。我々がいま目にしているのは単なる政治ではない。歴史と呼ぶべきものである。 【写真】再逮捕された「美人すぎる寝屋川市議」の写真集全カット 違いは? 株価の上昇と下落、円の上昇と下落。総裁選では、二人の候補によってプラスとマイナスがはっきりと分かれていた。当選した石破氏には株安、円高がついてくる。当選を逃した高市氏には株高、円安が期待されていた。ビジネス界の支持は高市氏にあったと言われていた。 決選投票で選良たちは石破氏を選んだ。これが政治を越えて歴史だと私が思うのは、石破氏の総理就任が自民党の継続だと感じるからである。良くも悪くも、である。もちろん良いことを私は望んでいる。 しかし、石破氏の総理就任は良い結果に結びつかなかった。 大敗。それも想定を超える大敗である。自ら招いた敗北である。石破氏の自民党総裁就任に自民党なるもの継続を求めた者は大きな失望を感じた。 私だけではない。多くの人々はそ自民党の継続に安心感を抱くことができたと思って期待していたからである。であればこその決選投票での総裁選の勝利だったのだ。 問題は、その国民の安心だった。ああ、自民党の党首に不安感のない人が選ばれて良かった、と大きな安堵の息をついている無数の方々の姿が見えた。
玉木に頭を下げて
そのはずだったのにもかかわらず、自民党が大敗した。私には石破氏の言行不一致に原因があると思われる。すぐに解散しないと言っていたのに、速攻での解散を打った。 政治資金問題は解決済みだったはずなのに、非公認と比例との重複から排除するという制裁を更に課した。 最後の決め手が非公認候補への2000万円の支援である。 それぞれに理由があってのことであったのだろう。それぞれの時点で最善の手を尽くしたつもりだったのだろう。 理解できないではない。それで済むのがこれまでの自民党だったからである。 では、今回はなにが起きたのか。 安心できる石破さんが自民党総裁になって良かった。石破さんが総理大臣になって良かった、良かった。これで明日も東から日が昇る。そう信じ、安心した自民党の支持者たちは、しかし、自民党に裏切られたと感じた。明日のことはわからない。だからこそ石破さんだったんじゃないかという声が聞こえる。 誠実な石破さんが、石破さんらしい自民党の改革をすれば、まだまだこの党は日本を引っ張っていけるという思いを多くの国民が抱いていたのである。 だが、総選挙では、自民党は大敗した。 繰り返すが、それは石破さんの失策である。 国民が石破さんに見たもの、信頼の礎となっていたものを、石破さんは信じられないほど軽々と崩してしまった。 日本人の多くは保守的である。だから自民党なのである。だから石破さんに明るい希望を見たのである。自民党のなかで最も信頼できる人物であり、改革を託するに足るのみか、国の将来を任せることのできる政治家。そう多くの保守的な国民は信じたのである。 去年の12月、政治資金の問題が発覚したとき、私は日本人の大多数を占める保守層が自民党に裏切られたと感じ、支持すべき政党がなくなってしまったと絶望するのではないかと心配した。その結果、行き場を失った保守層は、いまは想像もできない「或る」ポピュリストに期待し、自らの首を絞めてしまうのではないか、民主主義と法の支配はあっという間に崩壊してしまうのではないか、と心配なのである。 野田氏を党首にいただく立憲民主党は大いに議席を伸ばした。政権に近づくだろうか? 否。実際のところ、国民はほとんど立憲民主党に期待していないだろうと、私は感じている。リベラルと保守の集合体に信頼感を持てないでいるのだ。 その代わりに、国民、保守的な国民は国民民主党がいることに改めて気づき、大きな期待の票を投じた。石破氏の自民党への批判である。しかし、本来は自民党を支持している保守的な国民、大半の国民である。 日経の10月28日の朝刊は、立憲民主党が自民党批判の受け皿になったと伝える。しかし、私はそれは当たらないと考えている。立憲民主党が25、2%、国民民主党が17、8%という数字が紙面に踊る。そう見える。 しかし、事実は違う。 国民民主党は42名しか候補者を立てていない。立憲民主党は237名。それうえでのこの2つの数字である。 国民は或いは自民党を離れ、或いは自宅に籠って棄権した。それが戦後3番目の低い投票率を説明する。一部は立憲民主党に流れた。しかし、立憲民主党の得票は7万票しか増えていない。分母は1458万である。実は流れてなどいないのである。 国民の相当部分、自民党に入れたはずの多くの人々は国民民主党を選んだのである。こちらは流れたんどということでは、断じて、ない。 実は、自民党の隣に小さな、しかし信頼に足る党があったと改めて発見したのである。 発見の背中を押したのは、他ならぬ石破氏である。 私は、石破氏は国民民主党の玉木代表に、頭を下げて総理就任を要請すべきだと考えている。石破氏が自民党の総裁を続けることはあり得るだろう。それは自民党の問題に過ぎない。自民党は、誰が総裁であろうと玉木政権を監視監督する役割を果たして、今回の愚行の反省の実を上げる、具体的には、国民の多くの望む保守政治をともに再建することが今の石破氏の、あるいは自民党の使命だと思うからである。 印鑑遠からず。1994年、社会党の村山委員長はそのようにして総理となった。その歴史的使命を果たした自民党の政治家たちが、あのとき、あの場にいたからである。