京極夏彦「本は、買うだけでいい。読もうが読むまいが、いいと思った本を手元に置いておくだけで人生は豊かになる」
1994年に『姑獲鳥の夏』で作家デビュー。1996年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、2003年『覗き小平次』で山本周五郎賞、2004年『後巷説百物語』で直木賞を受賞。今年作家生活30周年を迎える京極さんに、夏の納涼歌舞伎のために書き下ろした小説『狐花 葉不見冥府路行』について伺いました(構成:山田真理 撮影:本社・武田裕介) 【書影】歌舞伎舞台のために書き下ろされた長編小説『狐花 葉不見冥府路行』(著:京極夏彦) * * * * * * * ◆歌舞伎のために書き下ろした小説 広告デザインの仕事をしていた30歳の頃、企画書を書くふりをしながら会社のワープロで書いた小説を出版社に持ち込んだところ、運よく編集者の目に留まってデビューしました。早いもので、今年は作家生活30周年になります。 本作は歌舞伎の脚本として書き下ろし、今年8月の納涼歌舞伎で上演されました。伝統芸能は好きでしたし、「歌舞伎化を」と言われた時は「過去のどの作品を舞台化してくれるんだろう」と光栄に思いました。 ところが最初の打ち合わせで「書き下ろしの脚本をお願いします」と依頼され、さらに「小説としても出版しましょう」という話も進んでしまったのです。その時点ではもう嫌とは言えなくなっていた(笑)。 脚本と小説では書き方の勝手がまるで違いますから、それぞれ今までにない苦心をすることになりました。 そもそも歌舞伎というものは、その時代の空気や文化、観客の気持ちを汲みながらつねに変化してきたもの。わかりやすく、届きやすく、面白くすることに特化してきた芸能であり、そこが僕は大きな魅力だと思っています。 たとえば、「幽霊には足がない」というイメージ。あれは、もともと歌舞伎の演出の影響が大きいんです。この世のものでないことを示すために宙に浮かせ、足を隠すために着物の裾を長くしてすぼめる。それが浮世絵に描かれ、徐々にスタンダード化して後に映画などにも踏襲されたわけで。
◆歌舞伎でしかできないトリックも潜ませて 本作は夏の納涼歌舞伎として構想したものですから、そうした歌舞伎のお約束を意識した「怪談」っぽい小説に仕立ててみようと考えました。 たとえば歌舞伎でよくある、「おのれ迷うたか」と叫んで幽霊をばっさり斬ると、あわれ実は別の人が死んでいた――という場面。これは絶対に採用したかったんですね。 それから歌舞伎でしかできないトリックも潜ませています。実は歌舞伎座で販売された筋書の配役表にも、観客をミスリードする「仕掛け」を施したのですが、どれくらいの人が気づいてくれたでしょうね。(笑) 主要な登場人物の中禪寺洲齋(ちゅうぜんじじゅうさい)は、デビュー作『姑獲鳥(うぶめ)の夏』から続く「百鬼夜行」シリーズの主人公の曽祖父。その出自を明かしてしまっているので、シリーズ読者の皆さんも興味を持っていただけるかもしれません。 その洲齋を松本幸四郎さんが演じてくれました。素晴らしい仕上がりでしたが、かなり小説に寄せてくれていて。実は歌や踊り、それから立ち回りや「ここで見得を切ったら格好いいかも」と想定した場面もあるので、もし再演の機会があるなら実現すると嬉しいですね。上演するごとに変化するのが歌舞伎ですから。 もし納涼歌舞伎の演目として残ったなら、「これが原作か」と僕の小説を100年後に手に取る人がいるかもしれませんし。僕は生きてませんけど。
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