北村匡平『遊びと利他』(集英社新書)を伊藤亜紗さんが読む(レビュー)
利他は「モノ」からやってくる
子供の遊び場が変貌している。ブランコには「20回こいだら交代」と回数制限が明示され、すべり台は年齢制限が課されていてきょうだいが一緒に遊べない。今や公園は縦横無尽にかけまわる原っぱ的空間ではなく、決められた動線にしたがって指定された通りに遊具を体験してまわる遊園地的空間である。過剰な管理の背後にあるのは、危険な要素をあらかじめとりのぞこうとする安全性への配慮と、トラブルになりかねない他者との関わりを最小限にしたいという人々の傾向だ。 こうした管理化は、いうまでもなく、この数十年に社会全体に起こった変化でもある。子供の遊びは、社会全体の縮図だ。本書は、三人の子供を育てる著者が、遊びの行動観察やそれをサポートする大人たちへのインタビューを通じて、遊びと社会の排他性をひらくためのヒントをさぐった本だ。 「イリンクス( 眩暈(めまい) )」というキーワードが面白い。一見利他とは関係なさそうだが、ここにこそ利他に通じる可能性があると著者はいう。著者が参照するのは、社会学者ロジェ・カイヨワによる遊びの分類だ。従来の研究は、「アゴン(競争)」「ミミクリ(模擬)」といった意志的な遊びを対象としていた。しかしカイヨワは、「アレア(運)」そして「イリンクス」という脱意志的な遊びに注目する。イリンクスはその中でも脱意志的かつ脱自我的な遊びで、ぞっとするようなスリルを全身で味わったり、混沌の中に身を投じたりするような経験を指す。 自分を見失うことを楽しめるときにこそ、人は他者を歓待し、互いの可能性を引き出しあいながら、ともにいることができる。難しいのは、利他が目指すべきものではなく、やってくるものだということだ。そこで「モノ」に注目するという著者の切り口が生きてくる。遊具にしろ、ベンチにしろ、お金にしろ、モノは私たちのふるまいを管理する一方で、よき眩暈を引き起こすこともできる。公園で、食堂で、職場で、人々をとりまくモノたちをどのようにデザインし、いかにして利他の可能性を空間にインストールしていくか。その創造性が問われている。 伊藤亜紗 いとう・あさ●美学者 [レビュアー]伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授) 協力:集英社 青春と読書 Book Bang編集部 新潮社
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