遺影写真家 能津喜代房 ── 5000人の面影に寄り添って
今回はペットの猫、ルナも一緒。それぞれの撮影後、夫婦のツーショットも撮ることになった。 (巍さん)緊張するなあ。 (能津)体が離れてるよ!もっと寄って! (巍さん)つい本音が出ちゃう。 (能津)二人、手をつないでくれる?孫に見せるんだから、ジジババ仲良くね。そう、いいよ! (薫子さん)この人、ため息ついてる! (巍さん)ついてないよ。 (能津)まあまあ、最後はルナを入れて。はーい、ニャーオ!
「写真を撮ってもらうのと、お医者さんに診てもらうのは、ヌードになるようで、なんかね。恥ずかしい」(巍さん) 「前の2回は恥じらいがあって目をそらしてましたが、今日はカメラ目線ができた。人間図々しくなってきたというか。この写真を最後に見てもらえるのはうれしい」(薫子さん)
素顔館の玄関内に置かれた、以前に仕事関係でもらったという人形。「たまたまなんだけど、僕が小学生だったときにそっくりなの」と、能津が笑う。写真館を訪れた客も、能津のこの笑顔と明るく張りのある声、軽快なおしゃべりに迎えられ、思わず自分をさらけ出すのだろう。
お盆の迎え 笑顔の遺影に手を合わす
7月半ば、能津の近所に住む望月さん宅を訪ねた。6年前に亡くなった夫の博さんの遺影は、15年前に素顔館で撮ったものだ。 「写真と一緒にいる方が、生きてた時よりも生きてるような感覚があるんですよ。死んだ後の方が身近になったのは、この写真があったから。毎朝、『おはよう』って声を掛けています」と語るのは、望月貴美子さん(84)。 お盆の入りのこの日、能津は博さんの遺影に手を合わせた。 「ほら、望月さんの顔が喜んでいる。高い声が聞こえてきますよ」 「主人がこんないい顔して…いい顔の1枚があると、遺された人がね、豊かな気持ちになるの」 望月さんのように、遺影写真と共に毎日を生きる人がいる一方、「まだまだ遺影写真には『壁』がある」と能津は言う。同業の会合で「皆もっと遺影写真を撮りましょうよ」と話したり、遺影を準備する意識を広めるべく葬儀社に「遺影撮影会」の企画を持ち掛けたりもする。 「うちの町会では、80歳になると、5000円の祝い金か記念品をもらえることになっていて。『素顔館での撮影』も選択肢に加えてもらいました。でも遺影を希望するのは、10人のうち1人いればいいくらいですかね」 「それでも『終活』という言葉が認知されるとともに、以前よりは遺影準備の大切さが広まってきた」と能津は言う。同じ写真家として、自分もそうした変化を肌で感じている。