サウジがイランと断交 中東を揺るがしかねない対立の歴史
米国の動きとロシアの存在
現代のサウジとイランの対立には、中東以外の国、とりわけ米ロの中東政策も大きく影響しています。 このうち米国は、イスラム革命以前にはイランと友好関係にあり、軍事・経済の両面で援助していましたが、反米的な現体制が樹立された1979年以降、これと敵対してきました。一方、米国は1970年代からサウジなどスンニ派湾岸諸国からの石油輸入を増加させました。それ以来、サウジは米国と協力することが多く、「イスラム国」(IS)台頭後のイラクやシリアでは、米国主導の有志連合の一員として空爆にも加わっています。 これに対して、イスラム革命後に米国から「テロ支援国家」に指定されたイランは、反米で共通するソ連(ロシア)と連携。特に対テロ戦争が始まった後、欧米諸国と対立を深めたイランは核開発を加速させましたが、その原子力技術はロシアから導入されたといわれます。 さらに、サウジとイランはそれぞれISを攻撃しながらも、シリアのアサド政権をはさんで鋭く対立していますが、ここでもそれぞれ米ロとの結びつきが鮮明です。シリア人口の多数派はスンニ派ですが、アサド大統領はシーア派の一派アラウィー派で政権を固めています。シリア内戦の発生とともに、サウジは欧米諸国とともにアサド政権に退陣を求め始め、さらにスンニ派の反アサド勢力に資金協力を行ってきました。一方、イランはロシアとともにアサド政権を擁護し、シーア派武装組織をシリアに送っています。米ロの対立と連動することで、サウジとイランの対立はさらに拡大したといえます。
ニムル師処刑の意味
このように対立が過熱するなか、サウジはシーア派指導者の処刑に踏み切りました。それが宗派対立をエスカレートさせることは予想されていたことで、実際に国連や米国はサウジ政府に自制を求めていました。それにもかかわらず、サウジがあえて処刑を行ったことには、米国をけん制する効果があります。 近年の米国の中東政策には、サウジの利益に適わないものがあり、それは「イラン核合意」と「IS対策」において典型的です。 このうち、イラン核合意は、2015年7月に米英仏独ロ中の6か国とイランとの間で結ばれた「最終合意」を指します。これにより、イランは「平和目的」に限って国際的な監視のもとでの核開発が認められた一方、米国などは経済制裁を段階的に廃止することに合意。この合意は、長年敵対してきた米国とイランの関係改善につながるものと期待されましたが、サウジはこの合意がイランに譲歩しすぎたものと批判。イランが欧米諸国と関係を改善することへの警戒感をにじませたのです。 これに加えて、IS対策をめぐっても、サウジと米国の間には温度差が目立つようになりました。シリア内戦が長期化するなか、ヨーロッパ諸国からはISを封じ込めるためにアサド政権やロシアとの関係を見直すべきという声があがっており、米国もこれを無視できない状況にあります。しかし、アサド政権の延命はイランにとっての利益でもあり、サウジには受け入れられない話です。 このような背景のもと、それによってイランとの関係が悪化することが十分予想されたシーア派指導者の処刑をあえて行ったことは、サウジが米国に「サウジとイランのどちらをとるか」を迫る効果があるといえます。