「維新の党」「大阪維新の会」「おおさか維新の会」それぞれ何が違うの?
11月22日に投開票が行われた大阪ダブル選挙は、大阪維新の松井一郎氏が大阪府知事に、橋下徹大阪市長の後継者で前衆議院議員の吉村洋文氏が大阪市長に当選し、共に大阪維新系が勝利を収めました。 しかし、維新といえば、一連の分裂騒動など、何かと世間をお騒がせ中。その結果、今年10月末に橋下氏が新たに立ち上げた「おおさか維新の会」と「維新の党」「大阪維新の会」という3つの党が並行して存在するというわかりづらい状況になっています。ではそもそも、この3つの維新は、どのような違いがあるのでしょうか? 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏に話を聞きました。
維新系3党が立ち上げられた歴史と背景
「まず2010年、当時大阪府知事だった橋下氏が、府の二重行政解消を目的とした“大阪都構想”の実現のために、地域政党『大阪維新の会』を立ち上げたんです。そして12年9月、国政に進出するにあたって、その大阪維新の会を母体とした『日本維新の会』が設立されます。その時点で、国会では日本維新の会、府議会や市議会では地域政党の大阪維新の会と、2つの維新が存在していました。その後、同年11月、国政政党の日本維新の会には『太陽の党』の石原慎太郎氏の一派が合流し、13年に橋下・石原両氏の共同代表制となりました。しかし14年、『みんなの党』から分裂した江田憲司氏らの『結いの党』との合流を巡って、橋下氏と石原氏は対立して分裂。石原氏らは「次世代の党」を結党し、日本維新の会は結いの党と合併し、『維新の党』に名称を変更しました」(鈴木氏) 結いの党を吸収し、党名に「維新」を残すという、日本維新サイドが優位な条件で合併を成し遂げ、維新は万全な再スタートを切ったかに見えたのですが……。 「ところが、15年5月に維新の党の最重要政策、大阪都構想が住民投票で否決され、責任をとって、橋下氏は維新の党の共同代表を辞任、政界引退も表明したのです。そんな中、同年8月には、安倍自民と密接な関係にある橋下・松井両氏と、民主との連携を深めようとする松野頼久執行部との間で路線の違いが明確になり、党内分裂に発展しました」(鈴木氏)