【光る君へ】子をなした正妻か愛し続けた“永遠の恋人”か… 藤原惟規が想っていた「恋しい人」は誰?
NHK大河ドラマ『光る君へ』の第39回「とだえぬ絆」では、まひろ(紫式部/演:吉高由里子)の弟である藤原惟規(演:高杉真宙)が急逝し、悲しみに打ちひしがれる家族の場面が描かれた。最後の力を振り絞って詠んだとされる歌に出てきた「恋しい人々」と、惟規の生涯について振り返る。 ■堅実に出世し人並みの幸せを手にしていた愛され系男子 藤原惟規は天延2年(974)頃の生まれとされており、紫式部と同母の兄か弟(弟説が有力)である。『紫式部日記』では、幼少期に父・藤原為時から漢籍を学んでいたがなかなか暗誦できず、紫式部がすらすら暗誦できたため、父が「お前が男であったらよかったのに」ということを漏らしたという逸話が書き残されている。 とはいえ父が無官だった時代が長いにも関わらず、それなりに出世はした。一条天皇の御代になってから大学寮所属の文章生を経て、長保6年(1004)頃から寛弘2年(1005)頃まで少内記という役職に就いた。これは天皇の公的記録等を担う仕事で、文筆に優れた人材が登用される傾向にあった。 その後は兵部丞・式部丞を兼任し、さらに六位蔵人にもなった。六位蔵人は天皇の膳の給仕等、秘書的役割を担っており、一応は出世コースに乗ったと言える。抜擢された背景には、ちょうど同じ頃に姉もしくは妹である紫式部が中宮彰子のもとに出仕し始めたこともあるかもしれない。 寛弘8年(1011)に従五位下に叙され、2月に父・為時が越後国に赴くのに同行するため、職を辞している。その道中に彼は病にかかり、現地に到着して間もなく死去した。仮に生誕を天延2年(974)頃とするなら、享年は37~38歳頃となる。 惟規は死の床で次のような歌を詠んだとされる。 みやこには恋しき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ (都には恋しく思う人がたくさんいるので、このたび<旅/度>は生きて帰りたいと思う) さて、この「恋しき人」は「あまたあれば」とあるのでもちろん1人ではないだろう。紫式部や異母弟の藤原惟通といったきょうだいはもちろん、惟規には正妻と嫡男もいた。そうした人々を思い出したのだと思われる。 『尊卑分脈』によると、正妻は藤原貞仲の娘で、彼女との間に嫡男・藤原貞職(さだもと)がいた。ほかに生母不明の息子・藤原経任(つねとう)がいる。貞仲は大学寮時代の先輩であった可能性が指摘されており、婚期は不詳ながら遅すぎず早すぎず、一般的な結婚をしたのではと考えられている。 一方でこの歌は『後拾遺和歌集』にも採録されているが、惟規の恋人である斎院の女房・中将の君を想ったものであるという説も根強い。 惟規の歌には秘めたる想いや、恋い慕う人を想ったものが多い。越後国へ向かう途中にも次のような歌を詠んでいる。 逢坂の関うちこゆるほどもなく今朝は都の人ぞこひしき (まだ都を出立したばかりで逢坂の関所も越えていないのに、今朝はもう既に都に残した人が恋しい) どちらの歌も都の人を恋しく思う気持ちが込められている。その脳裏に描いていたのがどんな人(もしくは大勢の人々)だろうと、惟規という人は人を愛し、人に愛された生涯をおくったということに変わりはなさそうである。
歴史人編集部