「自分自身という、すごく身近ですごく大きな壁」――北京五輪に挑む鍵山優真、一番の敵は「メンタル」
親子でスケート一筋。15歳、父の入院を経て
父は、1992年アルベールビル五輪、94年リレハンメル五輪に出場した鍵山正和。3歳で初めて氷の上に立ち、5歳から父の指導で本格的に練習を始めた。「自然と練習するようになって、気付いたら今になっていました」と歩みを振り返る。 「小学校の後半から、正月以外はずっと練習しています。年末の31日まで。毎日続けているので、もう慣れました。苦しいとかあんまり思ったことはありません」 中学生の頃、選手としての未来を思い描いた。 「中学生の時に横浜に引っ越したんですが、横浜は自分より上手な選手が同じリンクで何人も滑っていて、刺激をもらえる場所でした。そこで4回転とか3回転半とかいろんなジャンプを跳べるようになって、海外試合にも出させてもらって、自分の可能性や世界の広さを知った。世界を目指したい、日本のトップを目指してみたいと思うようになりました」 鍵山の持ち味に、スケーティング技術が挙げられる。とりわけ重視してきたのが基礎練習だという。 「基礎練習は昔から父が大事にしていたので。基礎の基礎は、『コンパルソリー』っていう、ただ氷にエッジで乗って丸や図形を描く練習。一見地味なんですけど、それができなければジャンプにもつながらない。フィギュアスケートの原点で、全てにつながっていると感じています」
2018年6月、父が脳梗塞で入院した。佐藤操に臨時コーチを頼み、自ら練習メニューを組み立てた。 「父が入院して自分一人になった時、最初はすごく不安な気持ちでした。でも初めて海外試合に選ばれた年だったので、ぐずぐずしていられないなって。まずは自分に何ができるのかを考えて、今まで教えてもらったことを思い出しながら基礎練習をしたり。毎日続けていたら、自然に『じゃ、次これやらなきゃ』とか、『これが明日の課題だな』と考えることができた。自分にとって一つの大きな成長だったかなと思います」 スケートの成績が伸びるほど試合は増え、練習時間が足りなくなった。高校からは通信制の学校を選び、練習中心の生活を送っている。 「『スケートをやってなかったら』って考えたこと、ないです。スケートしかしていないんです、ほんとに。他のスポーツもできないし、勉強もできない。スケート一本なんだなって思います」