漆で下塗り「黒の首里城」、「血の川」から取り出したバクテリア顔料で琉球期の「赤」目指す…火災から5年
沖縄県のシンボル・首里城(那覇市)は31日、正殿や北殿など7棟が全焼するなどした2019年の火災から5年となる。復元工事が進む正殿は骨組みを経て、屋根の瓦ぶき作業もほぼ終えた。現在、軒先や外壁の一部には、赤色の塗装の下地となる黒色の漆が塗られている。復元に携わる関係者らは「毎日が大仕事」と日々、心血を注いでいる。(島田愛美) 【写真】激しく燃え上がる首里城正殿(2019年10月31日、那覇市で)=矢野恵祐撮影
30日、ヒノキの香りが立ちこめるプレハブ内の工事現場を訪れると、赤瓦がずらりと並んだ屋根の軒先や外壁が黒く染まっていた。
「赤く塗り上げる前に黒い漆で下塗りをしている最中です。『黒の首里城』は今しか見られません」。現場を監督する内閣府沖縄総合事務局の白木利治さん(51)はそう解説し、額の汗を拭った。
正殿の復元工事は今年5月、約500本の国産ヒノキや本島北部のオキナワウラジロガシを使い、屋根や柱、梁の骨組みが完了した。7月から始まった約6万枚の赤瓦の取り付けも大詰めを迎えている。
「令和の復元」では、「平成の復元」(1992年)から約30年間で得られた新たな史料や知見に基づき、琉球王国時代の正殿の姿により近づけることを目指す。
赤い塗料のもととなる「弁柄」と呼ばれる酸化鉄でできた顔料は、平成の復元では市販のものを使った。令和では県産の天然素材「久志間切弁柄」を活用する。
首里城を管理する一般財団法人「沖縄美ら島財団」(那覇市)が、塗装の劣化による塗り直しのため2008年から研究を進め、同財団の琉球文化財研究室長、幸喜淳さん(50)が中心を担った。
研究は、琉球王国時代の文献にある「(現名護市などの)久志という地域での弁柄の調達を指示した」とする記述を手がかりに始まった。山あいを歩き回って鉱石など数十のサンプルを採取し、試作を繰り返したが、うまくいかなかった。
そんな中、知人から「北部に『血の川』と呼ばれる川がある」との情報を得て調査対象を水辺に変更したところ、酸化鉄を生み出すバクテリアを豊富に含む褐色の川を発見。「一目見て、昔の人はきっと川の水を使ったはずだと確信を持った」と振り返る。