被災者支える、地域で唯一の呼吸器内科医 福島・南相馬市
11日、東日本大震災から4年と8カ月を迎えた。東京電力福島第一原発事故後に市の一部が避難区域に指定され、いまだ約4千人が市内の仮設住宅で生活する福島県南相馬市には、地域医療を支え続ける医師の姿がある。
「はい、もう終わりですよ。痛くなかったでしょう」 南相馬市の仮設住宅の集会場で8日、南相馬市立総合病院の医師らがインフルエンザの予防接種をしていた。10月から11月にかけての土日の計6日間を使って市内20カ所以上の仮設住宅団地を回り、約500人に予防接種する。震災から月日が経つにつれ、仮設住宅には次第に若い人の姿はなくなり、今では居住者のほとんどが高齢者になった。仮設住宅は多くが交通の不便な場所に建ち、車を運転できない高齢者にとっては病院まで来るのも一苦労だ。 「病院や医者の少ないこの地域では、予防活動に力を入れることこそ重要なんです」と話すのは、神戸敏行さん(51)。福島県の浜通り北部に位置する相双地区は、人口10万人当たりの医師数が全国平均の約3分の1にとどまり、医師不足が続く。神戸さんは東日本大震災後、妻と子供3人を連れて福島県相馬市に移住した。震災前から医師不足が続くこの地域で、唯一の呼吸器内科医として、呼吸器系のがんや感染症の患者らを診察している。
神戸さんは千葉大学医学部卒業後、千葉県の総合病院で呼吸器内科の専門医として22年間勤務した。「学生時代から、いつか医師不足に悩む地方の過疎地域で医療をしたいと考えていた」といい、趣味のスキーやオフロードバイクで度々訪れていた自然あふれる福島県で働くことができたら、と漠然と考えていたという。 千葉県の病院で患者の受け入れに追われる中で、東日本大震災から半年後、ある医師が医療系雑誌に寄稿した記事が目に止まった。震災後の南相馬市の医療状況の深刻さを指摘する記事だった。「今、医師として南相馬に行くべきなのではないか」ーー。そう思い立ってから3カ月間、論文や専門書を読んで放射能について徹底して勉強した。現地の内部・外部被ばく量のデータから年間ひばく量を算出し、「影響はないに等しい」と結論付けた。2012年冬に面接を受け、2012年9月から南相馬市総合病院に赴任。相馬市の中古の家を購入し、4月からは妻と、当時中学1年生、小学5年生、幼稚園の年長だった3人の子供と一緒に相馬市で暮らすことになった。